優しさや誠実さは、本来、誰にでも開かれている資質のはずだ。
いわば公共財のように、持ち主を選ばず流通している。
けれど現実の受容は、どうにも中立ではない。
同じ振る舞いであっても、それが“意味”として成立するかどうかは、
しばしば発信者の外形に依存する。
言葉は内容だけで評価される、という前提。
それは理念としては正しいが、
実際には視覚的印象というフィルターを通過したあとでしか、
解釈のテーブルに乗らない。
いわば、美は翻訳装置として機能する。
平凡な配慮を“特別なもの”へと変換し、
ときに沈黙さえも、豊かな含意として増幅する。
この非対称性を、私たちは完全には否定できない。
だからこそ、理想を語る言葉の末尾に、
小さな但し書きが添えられる。
——なおイケメンに限る。
それは冷笑というより、
認識のバイアスを自覚したうえでの、
簡潔な注釈に近い。