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ケータイ天皇

今朝の「グッド!モーニング」で高槻市の古墳を紹介してました。

宮内庁が継体天皇陵と認定しているそうなんですが、他の天皇陵と違って、一般人が墳丘の上を歩けるんだそうですね。
興味をもって見たのは、毎日新聞オンラインの有料記事で読んだ
 「万世一系」「男系男子」は本当なのか 実証史学で確認されず
という記事に、この継体天皇が登場していたからでした。
仁藤敦史・国立歴史民俗博物館名誉教授へのインタビューを元に書かれたこの記事には、以下のような文章があったのです。

また「天皇」という称号の前の「大王(おおきみ)」の時代は、血縁ではなく実力によって即位してきた。たとえば中国大陸や朝鮮半島の勢力と緊張関係にあった5世紀には外交や軍事の能力が最優先された。武烈天皇の没後、出自が明らかでなく、都から遠く離れた近江・越前に拠点があった継体天皇が即位したのもこうした経緯からだ。その後は内政の能力が重視された。
武烈天皇は子宝に恵まれず、一応ナントカ天皇の子孫という継体天皇が即位したんだそうです。
天皇の名前というのは、死後につけられる「おくりな」ですが、武烈天皇がいかにも勇猛そうな名前になったのに、継体天皇は「体制を継ぐ」みたいな名前で、いかにも「つなぎの天皇」という感じですね。
天皇陵の扱いの軽さは、まさかそのせいでもないんでしょうが。

この記事からわかるのは、5世紀ごろまでの皇位継承は実力主義で血縁重視ではなかった、ということ。いわゆる「万世一系」が始まるのは、けっして神武天皇からではなくて、継体天皇の次に即位した欽明天皇からなんだそうです。聖徳太子の時代の少し前あたりなんですね。
古代史の資料はほぼ「古事記」と「日本書紀」に限られるわけですが、そのどちらにも継体天皇に関する詳しい記事は無いようです。
どちらも天武天皇の命で編纂されたものですが、天武天皇が力を入れていたのは、「ヤマト王権が天孫族であるという権威付け」と「兄・天智天皇の皇子を倒して皇位を奪った自身の正当化」のようなんですね。「万世一系」を主張するんだったら、継体天皇の出自をもっともらしくこじつけてたんじゃないかな(とGrokさんと意見が合いました)
男系男子論者は、あくまでも「神武以来」「万世一系」という歴史観をお持ちのようですが、学習院やケンブリッジで実証的研究を学ばれた陛下は、どのようにお考えなんでしょうかねぇ。


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