商船三井の受難! 輸送船船員は常に命がけ
- カテゴリ:ニコリーあつめ
- 2026/07/08 10:08:50
夕の星を保護しました。
2026/07/03
| 保護した場所 | 大きさ | レア度 |
|---|---|---|
| 展望広場 | 18.29cm | ![]() |
今月4~7日にホルムズ湾を通過した輸送船の中には
船体に二つの穴があいた商船三井のコンテナ船「ONE MAJESTY」が含まれていた。
太平洋戦争が、1941年12月8日の 日本軍による真珠湾攻撃により始まったことは有名だが、
その直後=12月8日、パナマ経由でNYに向かっていた MITSUI LINE(現商船三井)の貨物船「淡路山丸」が、アメリカ軍による爆撃で
炎上沈没したことは 日本では ほとんど知られていないのではないか?
貨物船「淡路山丸」こそが、太平洋戦争における 戦没商戦第1号なのである!! それも 真珠湾攻撃の日に たまたまアメリカ沿岸にいたというだけの理由で、民間船を アメリカにいたイギリス軍は容赦なく爆撃沈没
ちなみにパールハーバーに係留されていたのは老朽船!
つまり 使っていない船をおとりに置いて 日本に爆撃させたアメリカ軍!
その報復に アメリカ沿岸に居ただけの日本の民間船を撃沈
卑劣なのはどっち!?
(ちなみに 淡路山丸は 1941年7月には帝国陸軍に徴用されたことになってますが・・当時 日本はアメリカともイギリスとも開戦していませんでした!
しかも 日本側は淡路山丸に軍人を載せたらしいけど
だから爆撃されたのかもしれないが、だとしたら 日本の情報が駄々洩れだったという不始末><
しかも 民間貨物船1隻に載せた軍人だけで 本当にアメリカを攻撃するつもりだったのか?明治政府は!! 日米英ともに頭おかしいわ!!)
そして今回も、アメリカ軍による予告なしのイランへの空爆(ドローンを使っていようといまいと 空爆であることにかわりない)
により、 たまたまペルシア湾にいただけの商船三井のコンテナ船が、2月28日から4か月以上も 海上に監禁(って 船に対して言っていいのかどうかはわからないけど)され、どてっぱらに二つの穴をあけた状態で解放されたのである!!
(日本関係船が被弾したと言いう情報は かなり前に見た気がする)
・日本の食料自給率は、カロリーベースで38%
このカロリーベースというのは、私たちが口にする食料そのもの割合を指します。
外国産の方が 国産より安いから、「生産額ベースでは日本の食料需給率は61%」なんて 最近は 議員と御用メディアは言い立てますが、私たちが 食べる食料の3分の2は 外国からの輸入品 (国産農産物の飼料・肥料が 外国産なので食料の外国依存率はもっと高い!95%以上かも)
つまり 貨物船が動かなければ 私たち日本国民の3分の2以上は餓死します。餓死する以前に 日本国内にいる外国系の連中による強奪で殺される日本人の方が多いかもしれませんが。
(なにしろ 連中は 食欲と性欲を満たすために殺しと暴力が横行する本国から 安楽に暮らせる日本に流れ込んできた連中ですから⇦ヘイトではなく 事実です)
しかも、日本で生産される工業製品の原料も、電気ガスと言った動力源も すべて、輸入品です!
そして 昨今は 日用品のほとんどが外国製です。
衣類も 100均商品も 食器 その他道具類も 家電も PC部品も 生活必需品のほとんどが!
昔以上に 30年前に比べても 私たちの生活は
国外からの輸入=貨物船の正常な運航なくしてはなりたたないのです!!
・だからこそ 日本の船舶会社・海上運送にかかわるすべての企業と船員たちの 身の安全と 福利厚生が守られることを願います
そして、日本国籍を持ち 日本国内で生まれ育った 日本人海技士とその卵(旧商船高専・水産高校の生徒たち 卒業生)を
大切に育て 卒業後の進路保障を! と願います。
いえ 国に対して 強く要求します!!!
この者たちは、日本人の命を支える基盤なのですから!!
災害復旧の時にしか役立たたず
クマよけにもならず
クマから市民を守るための出動すら拒否して言い訳ばかりの自衛隊よりも
もっと直接的に 私たち国民の命を守っているのが 船員たちと海運業です!!
なぜ 私が 日本産まれ日本育ちの日本人船員の確保にこだわるのか?
それは、海運史を紐解けば かつての海洋王国大英帝国が運行していた船の滅亡には 船員による反乱が深くかかわっていたからです
天候その他情勢の変化により 船内環境が悪化したり運航に乱れが生じたら 真っ先に船員たちが反乱を起こす。
(当時のイギリス船の船員の質が低かったという要因もありますが)
これはまた 第二次世界大戦まで欧米で盛んだった探検隊のうち失敗とされた隊の末路と共通要因でもあります。
(探検隊の場合は、状況が厳しくなるやいなや、金で雇われた現地人が食料をもって逃げ出して 残された幹部隊員たちは迷子になったり立ち往生で飢え死にのパターンが多い)
だからこそ 祖国で暮らす同胞(家族)への愛と、何が何でも日本国へ貨物を持ち帰るという信念を持った 日本人船員の確保が重要であると 私は言いたい。
平時なら外国人乗務員に対する公正な扱いが重要なのだけど、でもいざとなったら 金で雇われただけの人間は「目先の損得勘定・己の得を優先して裏切るのも合理的判断」と主張していますから><
つまり「己が大事」という基本的考えの外国人にとっては 日本への忠義など皆無ということ。
そんな人間に 貴重な船舶や貨物を預けるのは 強盗を家に招き入れるのに等しいことです
◇参考 ◇
・1931年生まれの谷川俊太郎が 20歳~21歳の頃に撮影した写真集「楽園」(2023年 TWO VIRGINS ⇦社名 刊)
に掲載された 写真「MITSUI LINE」と船腹に大書きされた船
これは、三井船舶(せんぱく)株式会社(1942年~1964年)時代に
1939年から造船された 淡路山丸と同型船(5隻だったかな記憶あいまいで_(._.)_)
商船三井船隊史1884-2009 写真集 野間恒
で 確認しました。
・2カ所穴開いた商船三井船も 日本関係13隻がホルムズ海峡通過(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/98a90a8ca69cfd435713b90afc3828043eb4aa20
7/7(火) 22:45配信
ペルシャ湾内に留め置かれ、何らかの原因で船体に穴が開いた商船三井のコンテナ船1隻が、ホルムズ海峡を無事通過したことが7日、判明した。海運関係者によると、4~7日に日本関係船舶13隻の通過が確認されたが、この中に含まれていた。湾内に残る日本関係船舶は残り18隻となった。
船体に穴が開いていたコンテナ船は、商船三井の「ONE MAJESTY」。ペルシャ湾内に停泊中の3月11日未明に衝撃を受け、船体2カ所に穴が開いた。攻撃の有無や損傷の原因は不明だが、浸水の恐れはなく、自力航行が可能な状態だった。
金子恭之国土交通相は7日の閣議後記者会見で、日本関係船舶5隻が4~6日に海峡を通過したと発表した。日本船主協会はその後、さらに8隻の通過を確認。計13隻の船員の健康状態に問題はなかった。同協会によると、残る18隻の船員は計500人ほどとみられる。
政府は引き続き関係省庁などと連携し、早期脱出を目指す。金子国交相は「船舶、とりわけ船員の安全確保は最重要だ」と話した。
ホルムズ海峡は2月28日に米国の先制攻撃を受けたイランが事実上の閉鎖措置を敷いた。当初ペルシャ湾内には日本関係船舶45隻、日本人24人を含む船員約1100人が留め置かれていた。【中島昭浩】



























日本の漁船は 真面目に平和的に 自分達が食べるための魚を取ってます
日本の貨物船も 徴用されないかぎりは 自分達(庶民)が消費する生活物資を運ぶための船なんですけどねぇ
そして 船が 港湾や税関を通る存在である以上 政府の意向には逆らえないので
徴用されても泣き寝入りせざるを得ないとはいえ・・
もはや 自由主義経済と民主主義の時代なのだから、 運輸産業 特に海運業は
もっと 平和の担い手のとして 尊重され 国民からの積極的な支持により その平和的運輸活動を守り、
あらゆる意味で保護されるように 政府=議会運営=議員活動がなされるべきだと考えます
議員の私利私欲の財源として 日本の海運・港湾・造船・船舶関連事業が利用されている現状は許しがたい!
江戸時代の伝統的輸送船(大阪と江戸を運行)の船主たちが 合同で 立ち上げた船会社です
それこそ 純血種の民間船の団体!
大日本帝国政府とも いかなる軍とも 関係ないわい!
現在の 日本政府も、手広く商売をする三井系列や海運業関連企業を 搾取するだけでなく
海運業関連を利用している以上 責任もって 日本人海技士(有資格者)も 日本の造船会社も守れや! と言いたい
港湾整備は 陸上の土建屋がもうかり そこからの裏金が手に入る、港湾利用の認可権限に絡んで議員にもお金が流れる、だから 巨額の金をかける。
でも 陸上のトラック運転手も 日本の造船会社や海運会社は 真面目に働くだけの個人だから
議員たちは そのもの達を便利に使う一方で、利権屋の言うがままに 日本の造船会社や日本人海技士を切り捨ててきた それが 政府自民党と残念ながら与党も含む国会議員が定めた立法であり 行政指導の実態ではないか!! ほんとに くそったれ!
やーっと 日本の陸上運送にかかわる 運転手の待遇改善に向けて 動きだしたのだから
とっと 日本の造船企業と 日本の船舶会社と 日本人海技士の保護もやれ!!
「戦没した船と海員の資料館」によると、大東亜戦争ではこの2隻のを始まりとして、戦後の政府発表で官・民一般汽船:3,475隻、機帆船:2,070隻、漁船:1,595隻の計7,240隻の船舶を喪失しています。
そして判明しているだけで、陸軍徴傭船27,092名、海軍徴傭船17,363名、陸軍配当船・海軍指定船15,043名、社船:833名の計60,331名の船員の方々が亡くなられています。
なお、昭和46年3月に財団法人・戦没船員の碑建立会により横須賀・観音崎に「戦没船員慰霊碑」が建立されています。
◇ ◇
日本人でも平気で 「徴用されたいたのだから 爆撃され見殺しにされても仕方がない」という人がいますが
当時の徴用船というのは、民間人や 民用の物資を運んでいただけの民間輸送船を
形式的に「徴用船」とラベリングして その運航状況を監視する口実にされていたにすぎません!
戦後のアメリカや イギリスの伝統的な海賊船(免状を与えて 大英帝国の敵国を攻撃するための船)とは
性格が異なります!
そして 海上で炎上している淡路山丸を攻撃し手沈没させたのが オランダの潜水艦!
ヒュートン号事件のように オランダ本国がイギリスに占領され、国土が失われた状態で
イギリス戦艦に追われて オランダとイギリスの開戦そのものを知らなかった日本国の長崎に逃げ込んできて イギリス船が 日本の港に居るオランダ船を攻撃し、日本を攻撃するイギリス船に 防衛のために反撃した日本が イギリスから非難攻撃される口実を作ったオランダ
その卑しきオランダ人が 日本の民間船を攻撃したとは 許し難し! です。
しょせん 白人どもの外交観念 ってそんなものです
こじつけでも何でも 己の都合で大義名分を振りかざす輩!
そういう 白人どもに教育された旧植民地であるアジア・アフリカの人間もまた その同類ですよ。
上辺はともかく 本音と建て前をきっちりと見据えて 対処するのが、
「開かれた国」の国民の自衛術であり
基本的心得デス!
己の欲でのみ動き 外国人の美辞麗句でおどらされている 日本の国家議員も地方議員も
権力のお先棒を稼いで正義面するメディア人間も くたばれ!
「淡路山丸」は、昭和14年8月31日に横浜からニューヨークへ向け処女航海を行い、その後は北米航路の高速船として運用されました。
昭和16年7月には帝国陸軍に徴傭され、開戦の火蓋を切ることになるマレー作戦への参加のため、昭和16年10月23日に広島・宇品を出港、11月20日に中国・広州に到着し第18師団の支隊を乗せ、12月4日に現中国・海南島の三亜を出港します。
そして、12月7日の23時30分頃にコタバル沖へ侵入・投錨し、翌8日1時35分頃から上陸する部隊の第1陣を送り出します。
ところが、12月8日5時00分頃から英国軍のロッキード・ハドソンEB-14B爆撃機による銃爆撃を受け、第2船艙に被弾します。この時第2船艙には装甲艇が搭載されており、デッキに積まれていた航空燃料のドラム缶や弾薬に引火し一面大火災となってしまいます。
この爆撃で、「淡路山丸」の操舵手・吉田駒男氏がウインチのハンドルを握ったまま血まみれで倒れており、大東亜戦争における民間船員最初の犠牲者となりました。
火災は3番船艙、そしてハウス(船橋等)に及び、発電機も停止し船の機能は失われます。誘爆の危険もあったことから、5時20分に総員退船が下令されます。
この時、搭載していた武器・弾薬・糧食・60頭の軍馬の大半と、揚陸作戦で負傷し中甲板に収容された負傷兵達を救うことができませんでした。
その後も船体は燃え続け半没状態のままとなっていましたが、12月12日の22時頃に蘭国海軍潜水艦「K12」の雷撃を受けて沈没していきました。
大東亜戦争における戦没商船の一覧表が載せられている書籍である、
「復刻版 日本商船隊戦時遭難史」海上労働協会、2007年9月、成山堂書店
においても、喪失第1号は10日の「高雄丸」、第2号が12日の「淡路山丸」となっています。
ただ、経過を辿ると「淡路山丸」の方が先に船として使用に堪えない状態になっていた、とも言えますが、どちらが先に戦没したかというのは、大きな問題ではないように思います。
大東亜戦争開戦に合わせて、現フィリピン・ルソン島のビガンへの上陸作戦に参加するため、昭和16年12月7日に現台湾の馬公を6隻の船団で出港、12月10日2時10分にビガン沖に到着し、帝国陸軍歩兵部隊約800名の揚陸をはじめます。
さらに戦闘機材を搬出中の8時10分頃に、米軍のB-17爆撃機の空襲を受けます。この空襲により、爆弾1発が右舷1番船艙に直撃、さらに次の爆弾が左舷錨鎖を切断します。
不測の事態に備えて投錨していなかった「高雄丸」は、沈没を免れるため船を進めてビガンの南東・サンタ沖4km付近に座礁し揚陸を続行、12月13日には揚陸作業が完了します。
「高雄丸」は揚陸作業中から浮揚に向けた準備を進めますが、風浪が激しく船体は一旦放棄となります。
その後も、浮揚作業を行うべく手配が行なわれますが、船体は原住民により焼き尽くされ荒廃が進んでしまったことから、昭和17年9月30日に「沈没」と記録され正式に放棄されます。
次に名前が載っているのは三井船舶の「淡路山丸」です。
「淡路山丸」は戦前に政府が主導していた「優秀船舶建造助成施設」の適用を受け、三井造船玉造船所で建造した高性能貨物船で、昭和13年12月に進水しています。
【要目】
総トン数:9,794トン、積貨重量:10,930トン、
垂線間長:145.1m、幅:19.5m、深さ:12.4m
機関:三井B&W8気筒ディーゼル機関×1、推進軸:1軸、
最高出力:(計画)9,600HP、最高速力:19.91ノット、乗客数:1等12名、乗員数:54名
※出典:「本邦建造船要目表(1888-1945)」日本船用機関学会・船舶機関調査研究委員会、
1976年5月、海文堂出版、P.160-161
「商船が語る太平洋戦争」野間恒、2002年7月、自費出版、P.7
大東亜戦争で最初に喪失した民間船舶・「高雄丸」と「淡路山丸」
https://ameblo.jp/vesselturedure/entry-12715164554.html
2021-12-11 22:14:37
大東亜戦争は、日本時間の昭和16年12月8日午前1時30分から始まりました。
後に支那事変を含むこととされましたが、現代では「太平洋戦争」と言い換えられているのは、昭和16年12月8日のマレー作戦とハワイ海戦(真珠湾攻撃)により始まったとされています。
この戦争により最初に喪失した艦艇は「伊号第七十」潜水艦とされており、12月10日に亡失認定されています(真珠湾の大勝の影で 真珠湾沖での「伊号第七十潜」の喪失)。
それでは、徴傭された民間船舶の最初の犠牲となった船舶はどの船か。
いつもの「戦時艦船喪失史」を調べてみると、最初に載っているのは大阪商船の「高雄丸」という船名でした。
この「高雄丸」は、大阪商船の貨客船で浦賀船渠で建造され、昭和2年2月に進水しています。
【要目】
総トン数:4,281トン、積貨重量:5,218トン、
垂線間長:108.2m、幅:14.8m、深さ:9.9m、
機関:蒸気タービン機関×1、推進軸:1軸、主缶:円缶×4
最高出力:3,915HP、最高速力:16.32ノット、乗客数:1等6名、3等64名
※出典:「本邦建造船要目表(1888-1945)」日本船用機関学会・船舶機関調査研究委員会、
1976年5月、海文堂出版、P.128-129
「商船が語る太平洋戦争」野間恒、2002年7月、自費出版、P.9
「高雄丸」は、台湾の高雄からバナナなどの青果物や砂糖を運送するために船艙に機械式通風機を設置し、貨物の鮮度維持のために蒸気タービンによる高出力・高速な貨客船として建造されました。
昭和12年7月には帝国陸軍に徴傭され、大陸方面への兵員輸送に当たります。
昭和14年には解傭されフィリピン急航線に就きますが、昭和15年7月には再び帝国陸軍に徴傭されることとなります。