遠い昔、きみへ
- カテゴリ:小説/詩
- 2026/08/09 21:40:24
もう こちらでは夕方になると、ひぐらしの声が低く、
まるで水の底に沈むように響いてゐます。
東京の暑さは、まだつづいてゐるでせうか。
まるで水の底に沈むように響いてゐます。
東京の暑さは、まだつづいてゐるでせうか。
お別れしてから、ぼくはあの小さな部屋の窓辺にひとりで腰かけて、
きみの白いスカートが、風に小さくはためいてゐた午後のことばかりを
ぼんやりと思い出してゐます。
あのとき、ぼくたちはどうしてあんなに、黙り込んでしまったのでせう。
言いたいことは、雲のようにたくさん胸の中に湧き上がってゐたのに、
いざ言葉にしようとすると、どれも軽すぎて、
風にはじかれてしまうように思えたのです。
きみの白いスカートが、風に小さくはためいてゐた午後のことばかりを
ぼんやりと思い出してゐます。
あのとき、ぼくたちはどうしてあんなに、黙り込んでしまったのでせう。
言いたいことは、雲のようにたくさん胸の中に湧き上がってゐたのに、
いざ言葉にしようとすると、どれも軽すぎて、
風にはじかれてしまうように思えたのです。
いま、窓から入ってくる風は、どこか遠い山の上の、
冷たい石の匂いがします。
あれほどぼくたちの肌を灼いた夏の日差しは、
もう木漏れ日のやわらかな斑点になって、ぼくの足もとを濡らすだけです。
冷たい石の匂いがします。
あれほどぼくたちの肌を灼いた夏の日差しは、
もう木漏れ日のやわらかな斑点になって、ぼくの足もとを濡らすだけです。
季節がうつろうのは、どうしてこんなに早いのでしょう。
ぼくの心は、あの真夏の、まぶしい光の中に置き去りにされたまま、
からだだけが、冷たい秋の入り口へと押し流されていくようです。
ぼくの心は、あの真夏の、まぶしい光の中に置き去りにされたまま、
からだだけが、冷たい秋の入り口へと押し流されていくようです。
きみに宛てたこの手紙も、本当はどこへ届けばいいのか、
風に訊ねてみたくなることがあります。
ぼくが言えなかったすべての言葉は、きっと、
この透きとおっていく空気のなかに、静かに遺されるのでしょう。
風に訊ねてみたくなることがあります。
ぼくが言えなかったすべての言葉は、きっと、
この透きとおっていく空気のなかに、静かに遺されるのでしょう。
どうぞ、おからだを大切に。
きみの窓辺に、いまも優しい光が届いてゐますように。
きみの窓辺に、いまも優しい光が届いてゐますように。
——処暑の夕暮れに。 ぼくより
ランプと霧
林をぬけてきた 一本の細い道が
古い宿の 煤けた(すすけた)板壁に突きあたる
そこではいつも かすかな落葉松(からまつ)の匂いと
誰かが弾く 古いピアノの音がまじりあってゐた
古い宿の 煤けた(すすけた)板壁に突きあたる
そこではいつも かすかな落葉松(からまつ)の匂いと
誰かが弾く 古いピアノの音がまじりあってゐた
窓をひらけば 薄紫にひろがる雲仙岳の裾野
夕映えの雲は ちひさな迷い児(ご)のように
ぼくの部屋の 白い天井に影を落とし
やがて静かに 夜のしじまへと溶けてゆく
夕映えの雲は ちひさな迷い児(ご)のように
ぼくの部屋の 白い天井に影を落とし
やがて静かに 夜のしじまへと溶けてゆく
この村の夜は すべてのものが優しく眠る
ランプの灯(ひ)が 机の上のノートを青く照らし
ぼくはただ きみの名前をひとすじに書きつける
ランプの灯(ひ)が 机の上のノートを青く照らし
ぼくはただ きみの名前をひとすじに書きつける
明日の朝には きっと冷たい霧がおりて
ぼくたちのあしあとを すっかり消してしまうだらう
それでもいいと ぼくは静かに眼(め)を閉じる
ぼくたちのあしあとを すっかり消してしまうだらう
それでもいいと ぼくは静かに眼(め)を閉じる

























