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白露の人


お話いたしましょう。
九月も上旬を過ぎますと、あんなに猛々(たけしき)を振るっていた夏の太陽が、まるで急に世間の目を気にするようになった気弱な男みたいに、すうっと影を潜めてしまうものでございます。朝、庭の雑草の葉先に、ちいさな、真ん丸い真珠のような露の玉が、こっそり並んで腰掛けているのを見つけるようになります。白露、というのだそうでございますね。
私は毎朝、その露の玉を眺めては、なんだか我が身のやり切れなさに、一人で小さく溜息をついているのでございます。
「おい、お前はいつまでそうやって、頼まれもしないのに消えてしまいそうな顔をしているんだい」
誰もそんなことは言いません。近所の子供たちも、私の前を素通りして学校へ駆けてゆきます。けれども私には、その草の上の白露の、いまにも、お日様が顔を出したら一瞬の未練もなく消え失せてしまおうという、そのいさぎよい諦めのポーズが、どうにも羨ましくてならないのです。
世間の皆さんは、秋が来た、涼しくなって誠に結構だ、などと暢気(のんき)に麦茶を片付け、単衣(ひとえ)の着物を引っ張り出したりしていらっしゃる。実に羨ましい限りであります。私ときたら、季節の変わり目というやつが、昔からまるで駄目なのでございます。夏から秋へ、その一歩を踏み出すだけのことが、どうしてこれほど大袈裟な、命がけの跳躍のように思われるのでしょう。
私の心は、あの朝露と同じでございます。触れれば、ぽろりと落ちて、そのまま土に吸い込まれて、跡形もなくなってしまう。
そうして私は、誰の目にも留まらぬうちに、静かに消えてしまいたいと願う一方で、誰か一人でもいいから、「おい、そこに露が結んでいるぞ、綺麗じゃないか」と、立ち止まって覗き込んでくれないものかと、これまた浅ましくも、身悶えするほど待望しているのでございます。まったく、我ながら愛想の尽きる、お恥ずかしい二枚舌であります。
白露のひとは、誰も彼も、きっと私のように、寂しがりやの、それでいて自尊心ばかりが肥大した、始末に負えない病人なのでございましょう。
庭の隅で、名も知らぬ虫が、ちい、ちい、と、頼りない声で鳴き始めました。

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