忘れられないのは
- カテゴリ:ペット/動物
- 2009/11/28 12:04:40
もの心付いた頃、親戚の家で何時も遊んでいた秋田犬とシェパードの雑種の産んだ子犬。
貰い受けて家で飼うことになり、兄がジュピターと名付けた。
幼かった私は、いつもカラスのビニール人形を背負いながらこの犬と遊んで大きくなった。
毎夜、母は鎖をはずしてやっていた。
庭が広く、雑木林の如くだったので、番をさせるためにだ。
父が帰ってくるのを察知すると、門先で座って待っていたそうだ。
夜接待をして、タクシーで帰ってきた時も ちゃんと門先で座って待っていたそうだ。
でも ある夜、門先で待っていたはずの姿がなかった。
その夜から行方不明になって、家族で必死に探した。
保健所や獣医さんたちにもお願いして探したが結局見つからなかった。
その頃、近隣の地域では赤毛や茶毛の飼い犬が 多く行方不明になった。
市内でも あちらこちらの地域で似た状況が起きたとのことが解った。
それで、噂が立っていた。
朝鮮人の心無い者が、赤犬の肉を食用に商いするために狩っているのだと。
事の真偽は定かにはならなかった。
当時は、今ほど動物に対して社会的な愛護精神などないし、財産価値も求められていなかったから、警察も捜査などしなかった。
市民からは、多くの要望が寄せられていたようではあったが。
とても悲しかった。
今でも想いすると悲しい。
どこかで生き延びて、精一杯生きてその生涯を終えてくれていたらと思う。
真っ白な手乗り文鳥を飼っていた。
小学3年生のころから、高校3年生の間まで。
今思えば、長生きだ。
ある日突然、学校へ行っている間に逝ってしまった。
朝きれいに掃除して、通常家を出る時間を過ぎていた。
それで、餌を新しいものに帰る途中で母が早く家を出ろと私を叱った。
餌は代わりにやっておくからと母が云い、私は自分でやると意地を張って喧嘩になった。
結局母が代わりに餌をやるということで、私は古い餌を取り出して新しい餌を入れてやらないままに家を出た。
でも母は、朝の時点では餌をやることを忘れて、午後になってから思い出して餌をやりに鳥かごへ行ったのだそうだ。
すると、その中でうずくまったまま寝ている。
何時もなら、人が近づけば さえずったり踊ったりしてスキンシップを求める。
が、反応がなかったのだ。
不審に思って手にのせてみると、まだ温かかったがぐったりして息がなかったそうだ。
母は、自分が朝餌を忘れたからなくなったと思って、私が学校から帰ってきたとき泣いていた。
私も自分の責任で死なせた気がして涙が止まらなかった。
今でも泣けてくる。
でも 大人になって思うことは、寿命だったのかもしれないこと。
獣医の連れに聞いてみても「寿命だろう」という。
何時もいるのが当たり前だったので、居なくなるということが念頭になかった。
だから、寿命だということなど考えも及ばなかった。
今でも 私同様、母の心には傷として残っているようだ。
だから、今飼う猫くんには、責任もって最期を看取ってやりたい。






























>いるのが当り前だった
その感覚はわかる気がします。
少しだけ・・・
ワンちゃん、どこに行ったの?! そんな~:; 信じたくないですよね:;
本当だったとしても、受け入れられないよ・・・。悲しすぎる。
私も、連れ去られたんじゃなくて、また違う道に、自ら進んで行ったと。信じます。そして願います。
人間は・・・動物よりも長生きしてしまう。
だから、1日1日が大事ですよね。世界中のペットが幸せに 一生を過ごせることを祈っています。