レノンレノン
- カテゴリ:自作小説
- 2009/12/14 22:28:27
男は百科事典に没頭していた。
項目を見ては、「ほう」とか「おお」といった声を上げている。
「ねえ」わたしは男を横目に見ながら、小声でサヨコを呼んだ。
「なんですか」
「警察に通報したほうが、いいんじゃない?」
「そんなに変な人には、見えないですけどねえ」呑気にサヨコが言った。
「そうだけど」わたしはサヨコをつついた。「明らかに、言ってること変だし」
「ですね」サヨコは認めた。
「あれ、ドライヤーだし」わたしは彼の「機械」を指差した。
「ドライヤーですよねぇ」
「絶対頭おかしいよ」
「でも」サヨコは言った。「今のところおとなしいし、下手に刺激しないほうがいいんじゃないですか?」
「そうだけど」
「あの」
わたしはびっくりして振り返った。
男が感動した面持ちで立っていた。「す、素晴らしい」
「ど、どうしたんですか?」
「ついにやりました!」男は泣きながらわたしの手を思い切り握り振った。「もとの世界に戻って来たみたいです!」
「は、はぁ……」わたしは手をそっとふりほどいた。
「よかったですね!」サヨコがにこにこしながら言った。本当によかったと思っているように見える。
「何も矛盾していない。素晴らしい。歴史も一緒だし、世界地図も変なところがない」男は言った。
「今までの世界には、必ず欠けているものがありましたが、この世界にはどうやら、ないようです」男は言った。「細かいところが気になりますが、あとは図書館で調べます」
「そうですか」わたしは当惑しながら言った。
「本当にありがとう……ココア代、払わなきゃ」
「いいですよ、そんなの」いいから早く消えてほしい、とわたしは思った。
「そんな……それじゃ気がすまないですよ」男は言った。「そうだ」
男は鞄からCDを取り出した。
「ジョン・レノン。これ、差し上げます。ブックオフにでも売れば、それなりの価値がありますよ。一応、新品だし」
「はあ」わたしはそれを受け取った。
男はわたしにCDを押し付けると、満足そうに微笑んで言った。
「じゃあ、さよなら!」
「さ、さよなら」呆気にとられてわたしは言った。
男は扉を勢いよく開けて、出て行った。
「ありがとうございましたー」その後姿に、サヨコが愛想よい声をかけた。
「変な人でしたねぇ」サヨコが言った。
「そうだね」わたしは言った。
「寒くないんですかね、あの格好」
そういえば、十二月だというのに半袖だった。この時期、あの格好だと冷えるだろう。
「まあいいんじゃない?」
再びドアを開ける音がした。
「いらっしゃいませー」サヨコが声をかけた。
男が立っていた。眼を見開いて。
男は頭に雪を載せたまま、苦痛に顔をゆがめていた。
「ど、どうしたんですか?」わたしはおびえながら言った。
「違った」うめくように男は言った。「この世界は違う」
「は?」わたしは眉をひそめた。
「この世界は違う!」男は叫んだ。「まさか、あれが」
男はドライヤーを頭に当てた。
まるで自殺しようとしているように。
「あれがないなんて」
「何の話です?」サヨコが言った。
「君たちは感じないのか?」男は言った。「十二月なのに、あれがないんだぞ?」
「はぁ?」サヨコが言った。「何の話です?」
「とにかく、僕は行く!」男は叫んで、ドライヤーのスイッチを入れた。「もう真っ平だ!畜生!」
次の瞬間、男は消えていた。
「消えた」
「消えました……ね」
わたしたちはしばらくぼんやりしていた。
ふと、サヨコがCDを手に取った。男が置いていったものだ。
「ジョン・レノンかぁ……」
「いまさらね」わたしは言った。「ジョン・レノンもね」
「あ、でもなんか知らない曲入ってますよ」サヨコが言った。「かけてもいいですか」
「どうぞ」わたしは言った。
「そう今日はクリスマスだから」とジョンが歌った。
「あ、ほんと、知らない曲だ」
「本当ですね」サヨコが言った。
聞いたこともないメロディだった。
「タイトルなに?」
「ハッピィクリスマス……ウォーイズオーバー」サヨコがそのまま読んだ。「ハッピィ……クリスマス……クリスマスってなんですかね?」
「さあ」わたしは言った。「知らない」
クリスマスなんて単語は、聞いたことがなかった。
ジョンの歌声が、十二月の店内に流れて溶けていった。
面白いな……やっぱり世界観が違う。
少し早いですが
メリークリスマス。