Nicotto Town



この酒に味を

星の光を遮る薄雲はなく、月と星は青白い光を地上に降らせて、倭奴の地につくられた阿多隼人の集落を、おぼろげに煌めかせていた。

 足音が近づいてきた。音のするほうを見上げると、火悉海がそばまで来ていた。

「飲まないか?」

 雰囲気は粗野なくせに、笑顔は相変わらず澄んでいる。

「ああ、いいよ」

 応えた高比古も似たふうに笑った。力尽きて、身構えることもできなかった。 

 火悉海は小さな壺を小脇に抱えていて、高比古の隣に腰をどっかと下ろすと、さっそくもってきた小さな杯で、壺を満たしていた酒をすくう。

 高比古に杯を手渡し、自分の分も用意すると、火悉海は目配せをして軽く杯を掲げた。

「乾杯」
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 火悉海の、やけに清らかな笑顔は、高比古をほっとさせた。

(済んだんだ。どうにか)

 疲れを称えて、ねぎらうようにも、杯をあおった。……が。酒を口に含むやいなや舌が驚き、癖のように飲みこむと、今度は喉が喚き出した。

(な、なんだ、この酒!)

 酒は、高比古の喉が驚いて暴れるほどの強さだった。

 のたうち回りたいのをこらえて、声にならない悲鳴を漏らしていると、面白いものを見るように自分を覗きこんでいる火悉海と目が合った。火悉海は、いたずらの成功を喜ぶようににやけていた。

 自分も杯をあおると、火悉海は力強い握り拳をつくって、酒の強さに耐えた。
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「この酒、キツいだろ? ……きっつー!」

 高比古は、茫然となるしかなかった。

(な、なんだ、こいつ……)

 さっきまでは、無言のうちに部下を従える勇壮な若王にしか見えなかったのに。

 火悉海はくっくっと肩を揺らしていて、目尻には涙まで浮かべていた。

「ほんとに効くな、これ。涙が……。あ、おまえも泣いてるな」

「……は?」

 笑われて、初めて気づいた。極度に強い酒を煽ったせいで、いつの間にか高比古の目も潤んでいた。

「なっ……なんなんだよ、この酒!」

「これ? 延命酒だよ」

「……延命?」

「死んだ奴でも生き返りそうな強さだろ? これはうちの商いの品でさ、大陸でうけがいいんだ」

「大陸で? 延命……? これが?」

「ああ。大陸の奴らは死ぬのが怖いらしくて、うそでも延命とかいえばかなりウケる」

 くっくっくっ。火悉海は肩を震わせて忍び笑いを漏らすが。

(うそでも延命といえばって……)

 北だろうが南だろうが、商人というのはどこでもちゃっかりしているようだ。

 火悉海は、高比古の手のひらから空になった杯を奪うと、再び同じ酒で満たす。高比古が文句をいっても、聞かなかった。

「……普通の酒はないのかよ」

「そのうち慣れるって。ゆっくり舐めろ」

 無理やり高比古の手に杯を乗せると、自分の杯と軽くぶつけてくる。飲もうという合図だ。

 仕方がないので、杯を唇に触れさせる火悉海の仕草を真似ることにした。

 初めて味わう、異国の酒。そういえば、酒の入った壺も、よく見れば見慣れない赤色をしていた。

 見渡せば、高比古と火悉海が二人で背にしている簡素な建物も、質素とはいえ工夫が凝らされていると気づいた。壁を成す小枝は丁寧に束ねられていたし、外にしつらえられた炊ぎ屋には、奇妙な丸型をした飾りもついている。

 いわれた通り、唇と舌が酒に驚いたのは初めだけだった。こういうものだとわかって飲めば、それなりに味わうこともできた。

「この酒を大陸まで運ぶのか? あの船で?」

 胸に浮かんだ疑問を口に出すと、隣で両足を投げ出して酒を飲む火悉海は、ぼんやりと答えた。

「まさか。酒なんか運んだら、重すぎて船が沈む。この酒に味をつけてる果実を運ぶんだ」

 




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