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中国残留孤児の日

●中国残留孤児の日
 1981年(昭和56年)3月2日、1972年に日本と中国の国交が回復後、初めて中国から残留日本人孤児が肉親探しに来日したことに由来します。
 このとき、47人が肉親捜しのために来日しました。うち26人の身元が判明しました。
 中国残留孤児は、中国残留日本人ともいわれ、日本政府が、満州国に送り込んだ、日本人開拓団員が、第二次世界大戦末期、ソ連軍進攻による中国東北部における混乱で、日本に帰ることが出来ず、中国大陸への残留を余儀なくされた日本人のことです。
 中国残留孤児の多くは、壮年を過ぎてから日本に帰国したために現在でもその約9割が日本語を習得できていないといわれています。
 中国残留孤児は、大切に育てられた人もいたし、働かされた人もいました。
 そのほとんどが日本語や自分の名前さえも覚えていないケースがおおく、中国人として中国でくらしていました。
 そうした背景もあるため、殆ど日本語は身につけていないそうです。
 そのため、日本での社会適応能力に乏しいとされ、働くところも見つからず、生活保護を受けている例も多いそうです。
 現在、歴史的な経緯から孤児達は国を訴え「残留孤児は日本政府の棄民政策の犠牲であった」として損害賠償と福祉の充実を求めています。
 また、残留日本人孤児の問題を隠れ蓑にして、一時中国人が日本に不法入国していたこともあったが、現在はほとんどないとされています。




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