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円の日

●円の日
 1869年(明治2年)の3月4日。
 明治政府が新貨幣の「円貨」の制度を定めました。
 これによって世界各国と同様に貨幣が円形になり、金・銀・銅の貨幣を鋳造することになったそうです。
 このことが由来して、円の日が制定されました。
 さて、明治政府以前の江戸時代の貨幣制度は、基本的に金・銀・銭という三つの貨幣を、各藩では藩札を発行していました。
 しかし、幕末の混乱のなかで幕府や藩はたびたび粗悪な改鋳を行なったため、一般庶民はもとより諸外国との貿易の障害にもなりました。
 その障害は、列国から損害賠償を要求される始末だったといわれています。
 そこで大蔵卿の大隈重信が新しい貨幣制度として厘・銭・円を提案、さらに旧来の方形から外国貨幣にも採用されている円形の貨幣とするべきと論じたのです。
 「円」の名前の由来には諸説あります。
 一説には、人々がお金を表すときに人差し指と親指で円を作ったところから、「『円』ならば誰でもお金だとわかるだろう」と当事の大蔵卿、大隈重信が言ったためこの名がついたいわれています。
 また、貨幣の形状を円形に統一したからとも、当時香港にあった硬貨に「香港壱圓」と刻印があったことから思いついたという説もあります。
 ちなみに、中国の通貨単位である「元」は「円」の同音字を当てたものだそうです。
 韓国・北朝鮮の「ウォン」も「円」の朝鮮語読みだそうです。
 また、台湾のニュー台湾ドルや香港の香港ドルも、国内での名称は「元」ないし「圓」だそうです。
 つまり、これら東アジアの諸通貨は、みな本質的には「圓」という名称を共有しているといえるそうです。
 また、中国語では米ドルを「美元」、ユーロを「欧元」というように、国・地域名を冠してそこで用いられる通貨を指す用法も派生しました。

 ところで、円をあらわす\記号ですが、これはエンをYENと表記するところからきているようです。
 これは、エンをそのままEnと表記すると、特に欧米人から「アン」や「イン」等と発音されてしまうため、

 さて、当事の1円の価値ですが、純金1500mgの価値だったそうです。
 この量目は、米国訪問中の伊藤博文が建言したものであり、当時の国際貨幣制度確立案として米国下院に提案中だった1ドル金貨の金純分と等しいかったそうです。
 また、当時明治政府が鋳造し流通していた明治二分金(重量3g 金純分22.3%)2枚(=1両)の純金含有量に近似でもあり、新旧物価が1両=1円として連結し、物価体系の移行に難が少ないとして採用されたそうです。




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