東京ディズニーランド開園の日
- カテゴリ:日記
- 2009/04/15 12:19:58
●東京ディズニーランド開園の日
1983年(昭和58年)の4月15日、千葉県浦安市の東京湾に東京ディズニーランドが開園されました。
上記に千葉県浦安市につくられたものの、施設の名称には「東京」とありますが、実際に所在するのは東京都と旧江戸川を挟んだ千葉県浦安市にあります。
現在では、東京ディズニーランドは、東京ディズニーシーなどと共に東京ディズニーリゾートを形成するディズニーパークであり、日本の代表的なテーマパークです。
海外にある他のディズニーパークと違い、誘致当時の経緯から東京ディズニーシーと共に唯一ディズニーグループの直営ではなく、オリエンタルランドがライセンス方式で運営しているそうです。
直営にならなかった理由は、建設計画当時、ディズニーは、フロリダ州オーランドの設計・建設のまっただ中ということもあり、初の海外投資には消極的であったことが最大の理由です。
そのため、ディズニーは、東京ディズニーランド建設のリスクを軽減するために、ウォルト・ディズニープロダクションズの日本法人による直接経営を避けることにしました。
そのため株式会社オリエンタルランドがディズニーとのライセンス契約のもと施設を所有運営し、ディズニー側がパークの設計をすると共に版権および運営の指導・クオリティー管理を行い、そのすべての費用をオリエンタルランドが負担するという方式をとったそうです。
ちなみに、2006年の時点で、一番新しい香港ディズニーランド・リゾートを含め世界で5つあるディズニーのテーマリゾートのうち、リゾートの運営会社にディズニーが全く出資していないのは東京ディズニーランドのある東京ディズニーリゾートを運営しているオリエンタルランドだけだそうです。
さて、東京ディズニーランドは、現在の浦安市舞浜の他、清水市(現静岡市清水区)、横浜市、川崎市などがあったそうです。
この中で、浦安市舞浜になった理由は、東京都心に近い立地の良さからディズニー側はかなり早い段階から舞浜に決めていたそうです。
しかし、ディズニー首脳陣は、したたかにも、誘致合戦でオリエンタルランドからより良い条件を引き出すため最後まで清水と舞浜の二カ所を候補地として残したそうです。
もちろん、表向きには、ディズニー首脳陣は日本の象徴である富士山が常に見える場所では人工物が引き立たなくなってしまうという理由をつけて清水市を除外しました。
また、横浜・川崎は埋め立てで場所をとると工業地帯の用地不足になるとのことから早い段階で候補から外されたそうです。
当日の入園者は2万5000人だったそうです。
2006年には、年間来客数1700万人という人気ぶりで、売上高世界一のテーマパークだそうです。