Nicotto Town



スリーマイルデー

●スリーマイルデー
1979年(昭和54年)3月28日はスリーマイルデーです。
 この日、アメリカ、ペンシルバニア州のスリーマイル島での原子力発電所で、放射性物質を大量に含んだ冷却水の流出事故が起き、原発事故が発生しました。

 当時、最も技術の進んだ、情報公開先進国ともいわれるアメリカで発生し、大量の放射能を撒き散らすことになった重大な原子力事故です。
 原子炉の核心部ともいえる炉心部分が冷却水不足のために溶けてしまうという大変な事故でした。

 始めは原子炉の本体からは遠く離れた小さなトラブルをきっかけでした。
 もともと、事故の1年前から始められていた試運転中から故障や事故が相次いでおり、今回の事故の直接のきっかけとなったバルブの不調も含まれていました。
 バルブの不調になった理由の一つには、建設コスト引き下げのために、原発以外でも使われていた既製品が据えられ、前後の配管との連結が上手くいっていなかったことが挙げられます。
 事故の日も、運転員がバルブを操作して、目詰まりと苦闘している時、突如バルブが閉じ、蒸気発生器への給水が断たれ、事故が始まったのです。
 その結果、本来、本来原子炉に冷却水を入れるはずでしたが、ランプの表示が不適切であったことと炉心の水位を外から見られない構造のため、運転員は蒸気発生器の給水が止まったとは気付かず、緊急冷却装置を絞ってしまいました。
 そのため、原子炉容器の圧力が上昇、圧力をにがすために開いた加圧器逃がし弁が開きっ放しになり、原子炉の冷却水が漏れて、原子炉の空焚き、燃料の溶融・崩壊に至ったのです。

 事故3日後には「8キロ以内の学校閉鎖、妊婦・学齢前の幼児の避難勧告、16キロ以内の住民の屋内待機勧告」などが出され、周辺の自動車道路では避難する車による大パニックが発生しました。
 チェルノブイリ事故より7 年も前のこの事故によって、当時の世界中の人々が原発事故の恐さを痛感したのです。

 直接的な原因は、トラブルの対応ミスではあるものの、その背景には、「安上がり策」「手抜き」の結果、「二重三重の安全装置があるから大事故はおこらない」との思い込みと相まって、ついに事故を招いたものだといえるでしょう。
 かつては安定経営で、競争力の強かった電力業界も自由化の中で厳しい経営状況を余儀なくされ、安全重視が損なわれた結果が大事故につながったといえるでしょう。

 この悲劇を繰り返さないためにも、原発史上最初の大事故を忘れずに教訓にしていこうと、民間の反原発団体などが行動を起こす日としています。




月別アーカイブ

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009

2008


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.