Nicotto Town


小説日記。


ヤンデレとメンヘラの違いについて



これ、実はずっとブログにしてまとめたかったことなんですが、夜中ふとこれ書いたら寝ようって気になったので綴ることに。

まず、私はヤンデレが好きです。大好きです。
ただし三次元、テメエは駄目だ。
三次元で「**ちゃんってヤンデレなんだって~」と聞くと大概は自称(自傷)メンヘラ女です。十中八九ね。
残り1は知りませんがまず純粋なヤンデレなんて三次元には居ないと思います。断言しちゃうんだ仕方ないね。

別にメンヘラが嫌いってわけじゃないんですよ。
二次元に限れば独占欲に溺れた彼らは見ていてとても好感が持てます。
それだけ好きになれる相手が居るってこと自体が素晴らしいと思います。

よく巷で見かける「ヤンデレ」のほとんども、言わせてもらいますが「メンヘラ」だと思っています。
ラノベ然り、漫画然り、アニメ然り、フリーゲーム然り。
一般認識から離れた事柄故、混同されるのはもはや自然の摂理なのかもしれませんが、私はどうしても納得できません。
フォロワーさんやサークルの人たちがヤンデレとメンヘラを履き違えているのがどうにも納得できません(キャラクターを作成する上でも非常に重要なことなので)。

なので語ります。

さて本題です。
出来るだけ細かく、サラッとまとめていきましょう。

ヤンデレとメンヘラの違いを大雑把にあげてみます。
・ヤンデレは崇拝型
⇒恋愛対象(以後A)を盲目的に愛し、神のように慕っている。
だからヤンデレはAが自分の本意にそぐわないことをしても責任が常にAの周囲の人間に及ぶ(自分も含まれる)。
この際の自傷行為がメンヘラと混同されることが多々。
・メンヘラは自己中心型
⇒Aのことだけを愛しているようで、実際はAに恋している自分が好き。だからAが自分の本意にそぐわないことをすると怒りに身を任せAに暴力を振るう。エスカレートし殺害に至ることで、メンヘラはヤンデレと混同されることが多い。

自傷によって出来た怪我を心配して欲しいという下心がまるわかりなんですメンヘラは。
逆にヤンデレは自傷をすると、Aに心配をかけたくないがために必死に取り繕って綺麗になろうとする。

違いをわかりやすく超噛み砕いて言えば、例えばお弁当を作ってあげて、Aがそれを残してくると「ごめんね私君の好物全部わかってたはずなのにごめんなさいごめんなさい」って泣きながら必死に謝るのがヤンデレ、「なんで私の作ったお弁当食べてくれないの?死ね」って言うのがメンヘラ。

ここまで読んでいただければわかってくださる方もいらっしゃるでしょうが、中にはヤンデレとメンヘラが混じった「ヤンデレメンヘラ」なる人種も居ます。
それこそ、ヤンデレとメンヘラの傾向を混ぜ合わせたような人です。
例えば「好きだからこそ傷つける」「好きだから殺す」と言った定型句にみられるヤンデレとメンヘラの混同。
純粋なヤンデレなら、Aを傷つけるなんて有り得ません。
Aにどれだけ嫌われようともAを決して嫌いになれないのがヤンデレなのです。
言わば究極の一途。

対してメンヘラはと言うと、Aを傷つけるのは、「自分のものにならないから」です。
ヤンデレならば、「Aが自分のものにならないのは仕方がない、それだけ魅力のある人だ。あの人の言うことは絶対だし、あの人が私の全てだ」となります。
自分のものにならないならいっそ殺してやる、というどこまでも自己中心的な考えこそがメンヘラの真骨頂。
この部分がヤンデレと混同されるのです。

ヤンデレはAが少しくらい周囲の人間と友好関係を結び遊んでいたとしても、彼らがAに危害を加えてくるまでは見逃しています。
Aが好きだから、Aが悲しむことをしたくないのです。
ここで「私殺したよ!あなたに害を成す奴ら全員!」と自己顕示欲に溢れた輩はヤンデレメンヘラと見て間違いないです。
純粋なヤンデレとは言えなくなります。

メンヘラは全くの逆。Aが周囲の人間と少しでも話そうものなら、即責任はAに向かいます。恋をしている自分が好きだから、自分の言うことを利かないAは懲らしめて言うことを利かせなければなりません。
周囲の人間を殺すのは有り体に言えば「Aへの見せしめ」でしょう。

そして、ここで問題になるのは両者によく見られる「Aの監禁」です。
ヤンデレがAを監禁するのは、相手の同意があった場合、もしくはAに危害が及びそうな場合などです。
ヤンデレはきちんとAの世話をかいがいしく焼き、決して飢えや暴力などを与えません。
メンヘラがAを監禁するのは、Aを独占したいがためだけでしょう。
メンヘラはAを監禁する場合、執拗にA拘束をしたりする傾向があります。ヤンデレがそうする場合もありますが、Aが傷つく(手錠などで)のは絶対に有り得ないので、主に使用するのは薬物などです。

監禁の話題から飛びますが、Aと彼らの馴れ初めについても触りましょう。
両者がAに惚れるのには、それぞれの理由は想いなどがあるでしょうから、私が個人的な解釈を入れる余地はありませんが、メンヘラの場合、Aを遠巻きに監視しストーカーまがいの行動から、告白しても居ないのにAに近づきAを殺害、などというせっかちな展開も希に見ます。
ヤンデレに関しても、Aに近づくに至るまでの経緯はメンヘラとほぼ同じでしょう。
両者は直接目につくような「好き」アピールはしない、と思います。

最後に、「心中・駆け落ち」についてです。
両者は間々Aと心中したりするストーリーを見かけますが、私から言わせてもらえばその7割はメンヘラの所業かと思われます。
まず、Aのことを想わない一方的な殺害は前にも述べた通りメンヘラの仕業です。
Aを殺し、メンヘラだけが生き延びるストーリーもヤンデレの崇高な愛とは掛け離れたものでしょう。
もし「死」を選ぶのなら、Aとヤンデレ両方の同意があり、死んでもなお「一緒」であり、「死んでも両者が幸せ」であることが、ヤンデレの条件だと思います。
そこで一番美しいのは薬物の過剰摂取による昏睡ではないかなと(なんとなく思い出されるのはロミオとジュリエットですね)。
身体に傷が残らないし、苦しまない。二人で幸せな最期を迎えられます。
メンヘラの一方的で乱暴な想いはヤンデレのそれとはやはり方向性が違いすぎる。


と、ここまで軽く語りました。
読んでくださった方本当にありがとうございます。

あくまでここで語られたことは、私の個人的な解釈に過ぎないし、ヤンデレとメンヘラの特徴を出来るだけわかりやすくまとめてある、ということを理解していてください。
でも、少なからず同意を得られたのなら幸いです。

私はヤンデレが大好きです。でも私はヤンデレじゃないよ。間違わないでね。
でもメンヘラが嫌いなわけでも無いです。そういったキャラクターもよく作りますから。
ただ一番大切なのは、両者の違いをはっきり理解した上で、このような特殊性癖を扱う慎重さです。
ヤンデレについて学びを得たいなら、「未来日記」を見ることを激しくオススメします。
あれこそが至高の、究極のヤンデレだと思います。
私はこれらの見解のほぼ全てを未来日記のヒロイン我妻由乃から得ました。
彼女は本当に素晴らしいヤンデレです後世に名を残して欲しい。

ヤンデレがだた漠然と好きだ、と思っていた方、ここで見解を新たに、少し考えてみようという思いに至れましたか。
もしそうだとしたら、私はそれだけで幸せです。

私これで論文書きたいわ。
満足した。
寝ます。




月別アーカイブ

2022

2021

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.