黒翼のカラス 【短編】
- カテゴリ：自作小説
- 2015/12/24 23:59:55
# - 逆さのシクラメン
「…………わたしを、殺すのですか」
＊
「あら……一つ足りませんね」
並べられた便箋を数え終え、白いカラスは唇に指を這わせる。別段、足りなくとも構いやしないのだが、〝彼女〟にとっては大問題だろう。
それとも足りないのは自分の分だろうか。
じんわりと頭の奥に染みる甘い香りを振りまくパイプを咥え、ゆったりと深呼吸した。脳髄を痺れさせるようなキャラメルの濃厚な匂いが肺に充満する。
ふーっと白い煙を吐き出すと、深く腰掛けた椅子に寄りかかった。人を伝書鳩のように使うのはやめてもらいたいものだ。
まあ、それが仕事なのだけれど。
「セシリー、……」
と、つい口に出す。
しかし明かりの差し込まない部屋に、誰の気配もないのを思い出した。急に背筋が凍える。
身体の奥底が冷え、吐き出した息がわずかに震える。
「…………」
……嗚呼、嫌だ。
いつからこんなに弱くなったのだろう。
一人では立っていることすら出来ないというのだろうか。
自分を見捨てた〝頭の可笑しい〟母親は、今もまだどこかで生きているのだろうか。
もしも自分を見つけたら、その時は……。
「考え事？マルク」
深く沈みかけた意識がピンと張り詰める。高く少女らしい声は、今回の依頼主に違いなかった。
「……盗み聞きですか？」
いけませんねぇ、と咄嗟に笑みを浮かべながらパイプを置いて両手を腹の上で組む。きちんと行儀よく並んだ便箋は、〝彼女〟が手袋をはめた手のひらを翳してなぞると全て消えてしまった。
「良いから私の言うことをこなしてよね。足止めしといてよ、あの子のこと」
上から目線に注文を寄越す少女は、奇抜な格好をしている。もっとも、この国の住人みんな奇抜な服装を好むものだが、少女もまた例外ではないということだ。
まるでドラゴンのように立派なツノと顔中に刻まれた傷跡、ピエロのようにカラフルでふんわりとしたドレス。
サーカスに出てくる役者のようだ。あながち間違いでも無いのだが。
「ええ、分かっておりますとも」
脚を組み、わざとらしく頷いて従順なフリをしてみせると、少女は不機嫌そうに両手を腰にやって鼻を鳴らした。
飴細工みたいな金色の髪は、綿あめに似てふわふわと柔らかく舞う。
「じゃ、よろしく」
パシン、とテーブルに叩きつけられた便箋を残し、顔を上げると少女の姿はもうなかった。
真っ赤な便箋だ。送り主には心当たりがある。
封蝋を剥がして中身に素早く目を通す。そして暖炉へ放り投げた。
――霊柩騎士団への関与を疑う逮捕状だ。
また届いた。これで十通目だ。
このところ一ヶ月おきに届く。そろそろ屋敷を移したほうが良いかもしれない。
奴らは私を捉えてどうするつもりだろう。拷問して聞き出すか？それとも問答無用で首を撥ねるか。もしくはその両方か。
想像するだけで震えが走る。死ぬのはご免だ。
だって私は、〝何も悪いことなんて〟していないのだから。
「…………マルク」
ハッとする。
しゃがれた声。
乾いた足音。
「……来ていたんですか」
怖くて振り向けなかった。
真っ暗な部屋の中でたなびく白い煙が、現実と夢の感覚を曖昧にする。
だって、私は。
「置いてきたと思ったんだろう」
そうだ。
置いてきた。
忌々しい記憶と共に、私を閉じ込めるあの屋敷に。
「少しは大人になれたと思ったんだろう」
私はもう物心ついた子供じゃない。
いつの間にか、本棚の上に手が届くようになった。
それなのに。
「何にも変わってないんだよ」
あの頃と。
「…………わたしを、殺すのですか」
ガチャリ、と扉が開く。
差し込んだ薄明かりに照らされて、背後に立つ小さなシルエットが逆光の中に浮かび上がる。
思わず腰を浮かせて振り向いた。
ミルキーピンクの長い髪。
幼い頃、よく櫛を通したっけ。
硝子玉のような蜜色の瞳が、こちらをじっと見つめていた。
「マル様……？」
遠い幻影を透かしてそこに居たのは、今しがた呼びつけようとした自らの眷属だった。
心配そうな声色にゾクリと悪寒が走る。沸き上がった感情が暴れだして、身体の自由を奪おうとする。
澄んだ灰色の瞳に映るのは、怯え切った目をした幼い少年だった。
咄嗟に目を逸らす。
ガツン、と拳を叩きつけたテーブルは軋み、パイプが燃えカスを撒き散らして転がった。
「……何でもありません」
ぼそりと口の中で呟いた声は、自分でも聞き取りにくかった。
崩れ落ちるように腰を下ろしたソファは柔らかく自分を受け止める。
こわい。怖くてたまらない。
でも、何が恐いんだろう。何に怯えているんだろう。
考えれば考えるほど、何もかも溶け出してどろどろに混ざり合ってしまうのだ。
私は弱みを握られている。
けれどそれが何なのか、自分でもよく分かっていないのだ。
「………………今日は街に行きます」
長い爪でテーブルをノックする。
締め切っていたカーテンが開く。
新月の夜は真っ暗だ。
廊下から差し込む照明以外に、部屋に入り込む光は無い。
「良い子にしているんですよ」
セシリー。
＊＊＊＊＊
失敗作のレクイエム前日譚
最近タイトルセンスが全くなくて困る。
あとセシリーちゃん少しお借りしました。
続き→続くか分からない
