Nicotto Town


小説日記。


戯け話【短編】

# - 榡嗚



 コンクリートに叩きつけられる鉄骨の音で目が覚めた。薄暗がりの中、擦り切れた毛布の下で蠢く体温が生ぬるくて、私はまどろみに沈む。
 今日もまたたくさんのカメラが待っている。眩いフラッシュと照明が降り注ぐ、赤いベッドの上の悪夢。理性なんて邪魔なだけ、自由になれない身体がてらてら光る、陸でもがく熱帯魚。
 あなたが私に息をくれる。
 腐った水を取り替えて、狭くて暗い瓶の底で。


 耳を劈くような騒音を奏でて、崩れた鉄骨の山が知らない男を叩き潰した。濁った悲鳴を聞かなかったことにして、私は路地裏を飛び出す。
 知らない、走り出したらそうなったから。都合のいい展開なんて別に望んでたわけじゃない。
 着乱れたシャツのボタンを震える手で留めながら、ネオンの下をひた走る。
 終わらない夕焼けの街。
 いつから、どこから、そんなの知らない。
 ただ私はここに居て、ここで死んでく。

「……っ!」

 脇に口を開ける廃ビルに曲がった。息を切らしてやっと緩めた足ががくがく惨めに震えている。
 鼓膜に響く鼓動の音が喧しい。薄い胸から飛び出してしまいそうな心臓を両手で押さえつけて、かび臭いビルの階段をよろよろ登った。
 一歩踏みしめるたびに酷使した脚がじわりと鈍痛を訴える。ざわざわと恐怖感に苛まれる胸の中が冷え切っていた。鋭利な鉤爪が心臓を鷲掴みにしているみたいで落ち着かない。
 陰気臭い階段を登りきったビルの屋上、重い鉄扉を押し開けて目を灼いたオレンジ色の光がチカチカ瞬いて視界を奪う。
 ひび割れたコンクリートの地面、錆びた手すりに歩を進めては、腐った下界を見下ろして嘆息する。ありとあらゆる悪の掃き溜め、ここは地獄の釜の底。

 何もない、何も知らない、まだ役者未満(モブ)だった。
 狂った世界の向こう側でほくそ笑む気色悪い悪魔たちに私はまだ気付いてないフリをしていた。

 けれど背後で響いた鉄扉の軋む音が、私を引き戻す。
 まるで浮き足立つような足音が駆け寄ってきて、私は思わず振り向いた。

「やっと見つけた!僕のお姫様!」

 聞いたことのない声だった。
 白髪、どろどろと渦を巻くように濁った深い紫の瞳。
 当然のように見たこともない彼は、伸ばした手で私の腕を掴んで引き寄せた。服越しに伝わる温もりに、押し付けられた胸板から彼の鼓動を生々しく感じてしまう。

 何が起きているのか分からなかった。
 でも、明らかに〝普通じゃないこと〟が起こっているのは分かった。

 バクバク脈打つ心臓が破裂しそうに高鳴っているのに、未だに全てを理解できない脳みそは、異性の温もりに今さら体温を上げていく。急に熱を持った心臓から送られる熱い血液で赤く染まった頬は、夕焼けの中でもきっと林檎みたいに熟れていたと思う。
 噴き出した冷や汗が首筋と背中に伝うのを極力無視しながら、カラカラに渇いた喉で生唾を飲み込んだ。恐る恐るでも顔を上げる勇気がなくて、ただ痛いほど抱きしめてくる腕、首筋を掠める吐息と柔らかい毛先がこそばゆくてじっとしていた。

 映画のワンシーンみたいだった。
 冗談みたいに〝ドラマティック〟に、私と彼は〝役者〟になった。


 注がれる愛をただ受け入れるのは簡単だった。コップが口いっぱいになってしまっても、まだ注がれ続ける愛はコップの置かれた部屋まで飲み込もうとしている。

「なんで、アタシなの?」
「君だから。」

 迷いなく吐き出される台詞が、本当に私に浴びせられている保証もないのに鵜呑みになんか出来なかった。出来すぎた物語が怖かった。
 何だかその目が、別の誰かを見てる気がした。

 好きと言った覚えもないし、彼に好かれる理由もない。
 けど傍を離れられない惰性が、愛されたいと叫んでいた。



*****


オリジナル創作企画⇒終天の悲喜劇-トラジコメディー-

【終わり】




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