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放射線ホルミシス 服部禎男 工学博士

第26回日本東方医学会「教育講演」配布資料より

後援 日本医師会
    厚生省
於 東京国際 フォーラム
2009 2月15日

資料提供
服部禎男 工学博士
ホルミシス臨床研究会理事

放射線ホルミシス
http://members3.jcom.home.ne.jp/horumi/kouenn.html


<抜粋転載開始>

11. モーリス・チュビアーナ博士のダブリン宣言

チュビアーナ博士の研究が佳境に入っているとのうわさで、電中研は博士を東京にお呼びし講演を聴きました。

博士は、自然放射線の線量率の100万倍程度までは、

激しいDNA修復活動が行われていることを暗示されました。

その後2001年6月、アイルランドのダブリンで、歴史的な発表がありました。

 「自然放射線の10万倍の線量率すなわち

10ミリシーベルト/時以下の放射線による損傷に対して、

DNAは充分修復され、

修復不良のDNAを持つ細胞を除去するアポトーシスなどの人体細胞の防御活動まで考慮すれば、

自然放射線の10万倍以下の線量率であれば、

人体細胞はパーフェクトで、ガンなどの発生は無い。」

と50年以上継続していた全人類の課題に対して、

歴史的な発表をするとともに、

自然放射線の1万倍程度のガンマ線定常照射による

ホルミシス研究を実施している日本の動物実験の積極的な前進を激励しました。

世界の専門家たちはこの活動に敬意を示し、

2007年、世界的に権威ある

“マリー・キューリー賞”をモーリス・チュビアーナ博士に贈りました。


<抜粋転載おわり>
http://members3.jcom.home.ne.jp/horumi/mo-risu.html



放射能の ほんとの話
http://www.tkd-randomhouse.co.jp/data/book/1038-4.pdf


服部禎男先生とエハンさんの講演会 2011/10/14 13:00 JST (Ustream)
http://www.ustream.tv/recorded/17862990



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2011/10/22 02:08
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ラジウムの上で50年過ごした世田谷の92才女性 今でも健康体
2011.10.20 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20111020_66165.html


一時は東京の各地に高濃度汚染地があるのではと疑わせる事態にまでなった世田谷の放射能騒動。しかし、福島第一原発によるものではなく、原因はこの家にあったラジウムの瓶だった。

騒動の舞台となった民家は、築60年ほどの木造平屋建て。現在は空き家になっているが、今年2月まで、92才の女性・A子さんがひとりで住んでいた。

「A子さんが引っ越してきたのは、50年ほど前の、昭和35年ごろのことです。瓶自体も同じくらい古いものなので、当時からあったとみられています」(全国紙記者)

ということは、この「放射能おばあさん」、ラジウムの上で50年も生きてきたことになるのだが、放射能の影響は受けなかったのだろうか。

A子さんは、証券会社に勤める夫とともに、この家に引っ越してきたという。現在、彼女は介護老人保健施設に入所しているが、特に病気ということはなく、夫も10年ほど前に亡くなったが、放射能を受けた人がなりやすい白血病やがんが死因ではなかった。夫妻には、2男1女がいるが、その子供たちもここで育った。次男の妻・B子さんがいう。

「お義父さんは、82才のときに老衰で亡くなりました。義母も耳は遠いし、記憶もぼやけていますが、重い病気にはかかっていません」

子供たちがこの世田谷の家を出て久しいが、ときには、庭の手入れや掃除などに来ることもあったという。現在、子供たちは3人とも50~60代だが、「みんな健康体」だという。


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2011/10/22 02:07


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「主人も姉も弟も結婚して家を出るまで、その家で過ごしましたが、全員健康でいます。私には娘がいますけど、娘も健康です。放射能がこれだけ騒がれていて、私たちも普段から食べるものとか気をつけていたのに、まさか身近でこんなことが起こるなんて…」(B子さん)

青天の霹靂といった感じだが、ラジウム入りの瓶が発見された場所は、A子さんの寝室だった。

「和室で畳の部屋なのですが、義母はベッドを置いてそこで寝ていたんです。ちょうどベッドの斜め下あたりが床下収納になっていたんですね。誰も触らないし、そんなモノがはいっていたこともまったく知らなかったようです」(B子さん)

つまり、A子さんはラジウム入り瓶の木箱のすぐ上で毎日寝起きをしていたのだ。計測された放射線量から推測すると、A子さんは1年間で30ミリシーベルト近く外部被曝していた計算になるという。これは震災後、国が計画的避難区域の基準とした20ミリシーベルトを上回っている。

この家に50年間住んでいたということは、単純計算すると、これまでに浴びた総被曝量は1500ミリシーベルトにもなる。放射性物質に詳しい中部大学教授の武田邦彦氏によると、実際にこれだけの量を被曝しているならば、「白血病になってもおかしくない」という。だが、それでもA子さんは90才を超えたいまも健康体。

「外部被曝のみをしていたと考えられます。確かに高濃度ではありますが、1年30ミリシーベルトといった放射能の影響を示す数値は、あくまで目安です。健康被害を受けない人もいるということなんです」(武田氏)

※女性セブン2011年11月3日号


~~~転載おわり
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2011/10/22 02:05
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2011/10/22 02:05
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高田純『福島 嘘と真実─東日本放射線衛生調査からの報告』(医療科学社)レビュー

http://d.hatena.ne.jp/poppokobato/20111231/p1

4月9日、10日と2日間にわたり20キロメートル圏内に突入し、放射線環境を調査しながら、徐々に福島第一原発敷地境界に接近していった。(…)

 そして核緊急事態が続いている福島第一原発の敷地境界の調査を開始した。福島第一原発の西門や、他のゲートやフェンスに沿って測定したところ、(…)最大でも毎時0.059ミリシーベルトであった。この値は、チェルノブイリの緊急事態時の値の1000分の1以下である。(p.30)


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2011/10/22 02:04
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 核分裂反応が停止した炉心内の放射能の総量は、時間の経過とともに低下する。その法則は、7倍の時間で10分の1に低下する。例えば、最初の1分後に比べ、30時間後には炉心の全放射能はおよそ1万分の1に減衰する。

 福島第一原発の炉心が冷却できなくなり、漏れた水素が原子炉建屋内で爆発したのは、核反応停止24時間以後だったので、その間分単位の短い半減期の放射能は消滅した。そのため、原子炉周辺でさえ、チェルノブイリに比べて、放射線強度は圧倒的に低かったのである。(…)(p.40)

 放射性セシウムの環境中の半減期は、30年よりも短い。それは、初期に存在するセシウム134の半減期が2年と短いばかりか、風雨などによる地域からの掃き出しがあるからである。2年目はすでに放射性ヨウ素が消滅しているので、その線量はない。さらに、外部被曝に加え、内部被曝も減衰する。(…) (p.11)

 世界の核被災地調査を続けてきた放射線防護学専攻の著者が、その経験をもとに開発したポータブルラボ、放射線計測装置一式を携え、4月9日、10日に福島第一原発周辺を測定調査したリポートである。現地の「低線量事象」という正しい実態を、しっかり確認されたい。

 福島での現地調査もやらず、遠く離れた場所から、チェルノブイリと同じだそれ以上だと騒いでいる輩は、原発専門家であろうが医者だろうが、インチキです。なのに、被曝するから除染作業は困難です、などという記事が新聞雑誌などマスメディアに出始めています。非常に危険な言説状況です。福島県民が、原発周辺の放置された家畜のように、生殺しにされようとしています。

 原発の存続・廃止というアジェンダが、イデオロギー的に、放射能危機の煽動のかたちを取るのは、唾棄すべきことです。福島第一原発に近づけなくすることで、結果的に、福島原発事故の真相隠蔽に加担することになります。


~~~転載おわり




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