現行憲法の下で「無血革命」を目指す
- カテゴリ:勉強
- 2012/07/23 20:31:46
...memo
<本多勝一の憂刻ニッポン>
小沢一郎(上)
現行憲法の下で「無血革命」を目指す
週刊金曜日 1月14日発売号
――我々の認識では、「戦後民主主義」は風前の灯になってしまったのではないかと思っています。その現状と背景をどうみますか。私はいわゆる「戦後民主主義」は結局戦前の反動に過ぎなかったのかもしれないと思うのですが……
小沢 戦後も戦前同様、日本的なコンセンサス社会の継続でしかなかった。欧米流の民主主義を取り入れて「戦後民主主義」だと言っていたが、中身が伴わないものだから、おかしなことになった。今日の政治、経済、社会、文化の行き詰まりの原因はそこにある。
――重要な認識で私も共通だと思います。自衛隊のイラク派兵問題で派兵が延長されましたが、これについてはどのようにお考えですか。
小沢 最初から派兵すべきではなかったと考えているので、延長には反対。まず撤退すべきだ。
――関連して、米軍は「大量破壊兵器」を口実に、国連を無視して一方的にイラクに攻め込んだんですが、結局パウエル米国務長官も大量破壊兵器はなかったと断言している。で、私はこの戦争をアメリカの侵略と主張してきたが、その点はどうみますか。
小沢 大義なき戦争、そして国際社会の合意なき戦争だから、言葉遣いは別として、米英のプライベートな戦いだ。国際社会の合意に基づく平和維持のための軍事力の 行使ではなかった。そのプライベートな戦いに、日本が軍隊を参加させてはいけない。それは憲法の精神にもとると、私は一貫して主張してきた。
――日本の歩むべき道として、小沢さんは「国連中心主義」を提唱されていますね。日米中心よりもそちらに重点を置くわけですが、その点をもう少し具体的にお話しください。
小沢 国連中心主義と日米同盟は、よく対立する命題のように言われるが、それは事実ではない。日本国憲法の理念は、国連憲章の理念そのもの。文言もほとんど同じ だ。日米同盟の象徴たる日米安保条約も、国連憲章の枠組みそのものであり、文言も同じなんだ。だから私は、国連憲章と憲法と日米安保条約を、三つの同心円 としてとらえている。安保条約も第五条で、国連が紛争解決の措置を執った場合は、日米の共同行動はそこで終了すると明記している。
超大 国 アメリカ一国ですべてを解決できるかというと、無理だ。今回のイラクがいい例だね。だから僕は、アメリカの知人に「キミたちはなんて愚かなんだ。ベトナム 戦争でわかったはずじゃないのか」と言っている。世界最強の軍隊でも人心を掌握することはできないんだ。どのような場合でも、国際協調の考え方に立って、 国際社会の合意と協力を得てやらないと、アメリカ自身も不幸なことになる。
実は、日米同盟の重点は安保ではない。みんな軍事面ばかりクローズアップするが、日米同盟の強化はもっとほかにやることがいっぱいある。経済の緊密化は特に重要だ。何よりも、日本が自立して、アメリカにきちんと忠告できる立場にならないといけない。
―― ベトナム戦争と全く同じ「愚か」をやっているというご指摘は正鵠を得ていますが、私はベトナムもイラクもアメリカ建国以来の歴史の延長だと思っています。 ところで小沢さんは、一九九九年九月の『文藝春秋』掲載の記事のなかで、「対米関係で手を切るということは日本が鎖国することだ」と書かれていますね。そ の通り「手を切る」のではなく、是々非々といいますか、少なくともフランスやドイツの対米姿勢、ああいう姿勢を日本も取るべきだ。
小沢 日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。われわれは国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる。
――抽象的な憲法改定論議が多いなかで、小沢さんたちは現行憲法の理念を実現しようと「日本一新十一基本法案」を去年(二〇〇三年)の国会に出されましたね。
小沢 僕らは、現行憲法の下で「無血革命」をやろうとしており、またそれができると思っている。その具体的な内容と方法を示したのが、この「十一基本法案」で す。「無血革ス」とも言える大改革は、国民自身の決断と選択がないとできるものではない。それらを一体として実施することで、「自由で公正で開かれた社 会」と「自立した国民による自立国家」を実現したい。
それに対し、いまの日本の改憲・護憲の議論は、理念もなければ、中身も全然ない。 憲 法が諸悪の根源のように主張する人々がいるが、憲法が変われば一夜にしてすべての問題が解決するのか。そのようなとらえ方は、政治的思考の停止にほかなら ない。憲法というものは、国民が互いにより良い生活をしていくための最高ルールだ。だから、時代が変わって、国民が変えた方がいいと思うところがあれば変 えたらいい。しかし、それだけのことだね。
日本国憲法の基本理念は、平和主義、国民主権、基本的人権、国際協調の四原則だが、どれも不 都 合はない。時代が変わっても、普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない。日本国憲法の成立のプロセスは議論すればいろんな問題が出てくるが、 中身とは別問題だ。もう少し冷静で論理的な議論を望みたい。
――国際平和・国際協力という場合、国連へ兵力を提供するんですね。ここんところが、憲法第九条に関連する自衛権の行使と、そのための戦力は矛盾しませんか。
小沢 国家の自衛権の行使と、国際社会の合意による国連の強制力行使とは、全く次元が異なり、その二つは峻別して考えなければならない。国連の決定に基づく平和 維持のための軍事力行使は、第九条が禁じている「国権の発動による武力行使」には当たらない。内閣法制局はこれまで、その二つを混同して、国連の活動で あっても、軍事力の行使は集団的自衛権の行使であり、「国権の発動による武力行使」だという見解だが、国連活動は個々の国々の自衛権とは全く異質のもの だ。
もちろん、日本も自衛権を持っているが、個別的であれ集団的であれ、自衛権の行使は最大限抑制的でなければならないと解釈しない と、 日本国憲法は成り立たない。自衛権の発動、つまり国権の発動による武力の行使は、直接日本が武力攻撃を受けた場合、あるいは日本の周辺地域で紛争が起きて 放っておくと日本に直接の武力攻撃が及びかねない事態になった場合に限って許される。それ以外では行使しない。
――国連待機軍を創った場合、いずれ自衛隊をなくして国連軍にするんですか。
小沢 いや、自衛隊は自衛権の行使、つまり「専守防衛」に当たる。
――自衛権行使の自衛隊は残すんですか。
小沢 もちろん。自衛権の行使は国連の活動ではない。
――ただ、自衛隊の海外派遣はしないということですか。
小沢 そう。それは憲法上の制約ではなく、政治判断によるものだ。日本の場合、戦後二度と侵略戦争はしないと誓ったわけだから、そのことを実態として国際社会に 示さなければならない。だから、軍隊を海外に出す時は、国連の旗の下に国連のブルーヘルメットをかぶって行った方がよい。それなら、かつて日本の侵略を受 けた周辺諸国も心配しないと思う。
――別の組織を創るということか。
小沢 そういうこと。自衛権の行使のための兵力と、国連平和維持活動のための兵力は明確に切り離すべきだと思う。
(以下次号につづく)
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・・・ 小沢一郎ウェブサイト より
■小沢一郎ウェブサイト■
http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/ctr/column.php?cmd=a_back&cat=2
2005年1月1月14日(金)
http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html
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2012年7月17日火曜日
政治家・マスコミ・官僚。すべてが国民の敵になってしまった
私たちは将来の子供たちに何を残そうとしているのか。そして、私たちは将来の日本人からどのように思われるのか。
恐らく、将来の日本人は、今の私たちを「日本を衰退させた元凶」として恨むだろう。
「馬鹿げた政府が馬鹿げた政治をしているのに何ら止めようともしなかった」「いつまでも放射能を出し続ける原発を収束したと言っている」
「何も報道しようとしないマスコミに文句を言わない」
↓
日本史でも最悪の日本人
まず、私たちは、将来の日本人に何を残そうとしているのか、よく考えて欲しい。それは、以下のものだ。
(1)収束しない福島第一原発事故
(2)汚染され続ける大地
(3)汚染され続ける食品
(4)汚染され続ける水
(5)汚染され続ける空気
(6)累積していく被曝者
そのすべてにおいて、取り返しのつかない「日本の致命傷」になり得る。
原発が問題ないというのであれば、福島第一の周辺の半径20キロ圏に入っていけばいい。そこで暮らせばいい。誰も止めない。
なぜ原発推進論者がそこで暮らさないのか。彼らがそうしない理由はひとつ。本当に、そこは超高濃度汚染地帯となってしまったからである。
広大な土地が、もはや人間がひとりも住めない超高濃度に汚染された大地となってしまった。
福島は豊かな自然に囲まれた土地だったのではなかったか?
かつてはそうだった。しかし、今や福島産の農作物など誰も食べようとしない。「汚染されているかもしれない」と誰もが考えるからだ。
もう、福島は、忌まわしいイメージとして定着してしまったということになる。日本だけではない。世界中がそんな認識を持っているのである。
誰がそうしたのか? 原発推進論者だ。利権にむらがった人間たちだ。
しかし、未来の日本人は「原発推進派が悪かった」とは思ってくれなかっただろう。彼らはきっと2011年の日本を見つめてこう考える。
「この世代全員が日本を衰退させた。日本史でも最悪の日本人だ」
↓
そんな新聞社はつぶれてしまってもいい
今の日本人は、今のままでは家畜のように大人しく権力に巻かれて何もしなかった世代として記憶される。
たしかに今、脱原発・反原発で多くの人が動いている。
しかし、マスコミはまったく報道しないのだから、未来の日本人は新聞を見て「何も記録されていない。このときの日本人は何も声を上げなかったのだ」と思うはずだ。
そう思われても仕方がないほど、マスコミはまったく何も報道しようとしない。気が狂っているとしか思えない。
もう私たちは本当に「実力行使」に出るしかないところにまで追い詰められているのではないだろうか。
今のマスコミがまったく事実を報道しないというのであれば、そんなマスコミは存続させる理由はないのだから、私たちは断固として抗議し、不買運動し、叩きつぶすしかないのではないか。
読売新聞や朝日新聞がきちんと事実を報道しないのであれば、私たちはこの新聞社の新聞は不買しなければならない。
購読をやめ、彼らのグループ全体とかかわるのをやめ、彼らを破綻に追い込まなければならないのではないか。
彼らは、「国民は簡単に世論で操作できる」と思っているのだから、そんな思い上がりの新聞社はいらないと私たちはもうそろそろ意思表示すべき時代に来ているのではないか。
良い新聞社と、悪い新聞社を見極め、もう悪い新聞社を、私たち自身が見捨てる時代が来ているのではないか。
別に新聞社の主義主張はどうでもいい。右よりでも左よりでも好きにすればいい。問題は主義主張ではなく、「報道すべきものを報道しない」という姿勢にある。
数万人規模で起きている巨大な反原発・脱原発のデモを一面ぶち抜きで報道しないのであれば、「情報隠蔽」「報道規制」をして世論を操作しようとしている「悪い新聞社」だ。
読売新聞や朝日新聞に恨みはないが、報道してくれないのであれば、そんな新聞社はつぶれてしまってもいい。
各テレビ局も同罪だ。反原発・脱原発のデモを報道しないで、代わりに韓流なんかを放映しているテレビを見る必要もない。
>>画像
脱原発デモ。
なぜ、この巨大デモが生中継されないのか疑問だ。
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日本人の味方ではなくなった
ひとつ、はっきりと言えることがある。それは、もはや政治家も、マスコミも、官僚も、「日本人の味方ではなくなった」ということだ。
国民の声を代弁するはずの政治家、国民の声を代弁するはずのマスコミが、まったくその姿勢を見せないで、自分たちの都合の良いように振る舞っている。
不思議なことだ。彼らはすでに「国民の敵」として君臨している。そして、そこには国益も何もない。利権があるだけだ。
国民が望むこととは真逆の方向に突き進み、日本そのものを破壊しようとしている。
国民が団結して立ち上がってもそれを情報封鎖、あるいは大切なことを伝えずに、他の事件に目を向けさせて世論操作までする。
メディアが言論封鎖しているのであれば、ネットが唯一の草の根のネットワークになる。しかし、そこは団結の場ではなく、中傷の嵐が吹き荒れる場になっている。
そもそも、ネットで中傷が溢れるように積極的に誘導され、そのまま放置されているのはなぜか。
ネットの中傷は、日本人が団結しないように「誰かが仕掛けている」ということすら邪推できていなかったとすれば、あなはたぶん「人が良い」ほうに入るのだろう。
中傷が許容されて、まるで促進されているかのようなこの動きは、明らかに誘導が感じられる。
他人に対する猜疑心を芽生えさせ、日本人が団結しないように互いに中傷合戦をさせているのだとすれば、そうすることによって利する人間がいるからだ。
そうでなくてもインターネットは検索エンジンやSNSの情報収集、スーパークッキーやフィッシングによる個人追跡、スマートフォンによる行動追跡、クラウドによるユーザーデータののぞきが同時並行に行われて個人が監視される時代に入っている。
そのあたりに気づかずに利用されるしかない日本人に未来があるのかどうかは私は知らない。
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いよいよ日本人にも行動が必要になった
もう日本人に味方はいなくなりつつある。そして、時間もなくなりつつある。
日本の将来を取り戻すとしたら、莫大な数の日本人が「デモ」や「選挙」に参加して、日本人が政治に対する主権を取り戻すことだ。
そうしないと、何も改善しない。
必要なのは、日本人の役に立っていない政治家を叩き出すことなのである。
日本人が考えなければならないのは、原発推進は将来の日本に禍根を残すということを明確にすることだ。このままでは未来がない。
汚れた大地、汚れた水、汚れた空気、汚れた食べ物が蔓延する国で、日本に将来があると思うだろうか?
原発は安全だと未だに言っている人たちの顔を見て欲しい。こんな人間たちと同じ日本人だと将来の日本人に思われたいだろうか。
思われたくなければ、デモでそう訴え、原発推進派の議員を根こそぎ落選させなければならない。
少なくとも、今回のような事態を招き、マニフェストすらも平気で破るような民主党は生き残らせてはならない。
いよいよ日本人にも行動が必要になった。すでに多くの人たちが動き始めている。あなたは、どうだろうか?
2012年7月17日火曜日
政治家・マスコミ・官僚。すべてが国民の敵になってしまった
http://www.bllackz.com/2012/07/blog-post_17.html