本当は恐ろしい忠臣蔵のおはなし その14
- カテゴリ: 勉強
- 2019/07/03 16:57:54
大石内蔵助良雄ら浅野家遺臣は、元禄15年12月14日に吉良邸を襲撃し、吉良義央の首を挙げてしまった。事件を知った民衆は熱狂し、大石らを正義、吉良を悪と認識してしまった。理屈では大石らが悪なのだが、民衆の「心情」は理屈ではない。ちょっと窮屈な世の中で、一見「義」に見えることを赤穂浪士がやってのけた。そ...
大石内蔵助良雄ら浅野家遺臣は、元禄15年12月14日に吉良邸を襲撃し、吉良義央の首を挙げてしまった。事件を知った民衆は熱狂し、大石らを正義、吉良を悪と認識してしまった。理屈では大石らが悪なのだが、民衆の「心情」は理屈ではない。ちょっと窮屈な世の中で、一見「義」に見えることを赤穂浪士がやってのけた。そ...
仇討、敵討とは尊属を殺害した者に対して行う復讐による私刑で、父母、兄など自分より年上の血縁の敵をとることを意味した。そのうちに「目上の人」たとえば主君や親分などの敵を討つことも含まれるようになった。
儒教の徳目には守るべき順番があり、第一位が親に対する「孝」、第二位が主君に対する「義」で、主君の命令...
元禄15年12月14日早朝、大石内蔵助良雄が表門を破って口上書を立て、大石主税が裏門から吉良邸に討ち入った。
「逆説の日本史14近代爛熟編」井沢元彦著によると。
”「時代劇」として「忠臣蔵」を見た時、最も違和感があるところはどこか?それは吉良方が厳重な警戒をして上杉家からの「付け人」も大...