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楠木正成は怨霊となったのか? その7

後醍醐は自分の理想を掲げて親政に取り組んだものの、「新しい幕府を開いて武家の政治」を新しく始めたい足利尊氏と、「功があっても才の無い者」を排除したい後の三房の北畠親房とが、頑強な抵抗勢力となっていた。
清和源氏の嫡流の足利尊氏は武士の権益を守るという大義名分があり、北畠親房は「才徳ある者=身分の高い...

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楠木正成は怨霊となったのか? その6

後醍醐は実権を握ると、①関白制の廃止。②八省の長に大臣クラスを配置する。③記録所・恩賞方・武者所・雑訴決断所の設置。④蔵人所の充実。⑤征夷大将軍を任命しない。⑥国司制度の整備強化。(逆説の日本史6中世神風編から)
といったことを行なった。
血統主義を廃し、世襲をやめて、軍事力から離れて、国を朝廷の直...

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楠木正成は怨霊となったのか? その5

後醍醐天皇は歴代の天皇の中で突出して独裁職が強い人物だった。日本は長い歴史を持っていて、独裁者が出たことも何度もある。
しかし、織田信長にしろ、井伊直弼にしろ、大久保利通にしろ、原敬にしろ、強権を持って民衆を従わせようとした人物は暗殺されている。暗殺までいかないまでも、独裁者は部下達によって引きずり...

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高等教育無償化は本当に有効なの?

「相対的貧困」のために、進学を諦める子どものため、あるいは、学費を稼ぐためにアルバイトで忙しく講義に出られない本末転倒ことになったり、奨学金という名前の学生ローンの返済で卒業後も経済的不遇にあったりという状況を改善して、学びたい子どもたちは存分に学べるようにと検討されているのが高等教育無償化の政策で...

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楠木正成は怨霊となったのか? その4

足利家も新田家もともに清和源氏八幡太郎義家の血を引いていて、義家の子で荒加賀入道といわれた義国から始まっている。義国の長男が新田氏の祖である義重で、次男が足利氏の祖となる義康だった。弟の義康が父義国から下野国足利荘を相続し、異母兄の義重は父義国とともに上野国新田荘を開拓した。
足利氏は実朝で途絶えた...

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