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将門って本当はどんな人だったの? その16

年が明けて天慶三年正月、平将門は坂東諸国を平定すべく5000の兵を引き連れて常陸国へ出向いて、平貞盛と藤原為憲の行方を捜した。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”なおも捜索を続けている間に、一〇日ばかりがすぎた。しかし、貞盛らはみつからず、やっと吉田郡蒜間の江の辺りで貞...

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将門って本当はどんな人だったの? その15

平将門の謀叛を知った朱雀天皇はあわてふためき、七大寺から名僧を招請して、八代明神に供物を捧げて、将門を打ち払うように要請している。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”「私は皇位を受けて、幸いに国家をおさめる事業の基礎を引き継いだ。しかし、将門が乱悪な武力をもって、国位を...

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将門って本当はどんな人だったの? その14

天慶二年十二月十五日、上野国府で新皇に即位した平将門は、武蔵権守興世王が主催者となって新皇の宣旨として諸国の除目を勝手におこなった。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。”下野守に将門の弟の平将頼を任命し、上野守に常羽御厩別当の多治経明、常陸介に藤原玄茂、上総介に武蔵権守興世...

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将門って本当はどんな人だったの? その13

平将門が新皇を称したとき、誰も反対しなかったわけではない。弟の将平や側近の伊和員経が諫言しているのだが、まったく聞く耳を持っていなかった。権力を手にして戦で勝ち続けて有頂天だったのか、それとも、正しい道を進んでいると信じて疑わなかったのか。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
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将門って本当はどんな人だったの? その12

新皇に即位した平将門は主君の藤原忠平家へ書状を奏上している。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”将門が謹んで申し上げます。お教えをいただかなくなって多くの歳月がすぎました。拝謁の望みがきわまり、あわただしいあか、どのように申したらよいかと思いますが、御考察を賜るならば、...

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