将門って本当はどんな人だったの? その7
- カテゴリ: 勉強
- 2019/11/06 19:32:03
都へ向かう平貞盛を追った平将門が信濃で戦っている頃、武蔵国では国司と郡司の紛争が起こっていた。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”承平八年(九三八)二月中に、武蔵権守興世王・武蔵介源経基と足立郡司で判官代の武蔵武芝とは、互いに武蔵国の政治をめぐって争っていた。聞くところ...
都へ向かう平貞盛を追った平将門が信濃で戦っている頃、武蔵国では国司と郡司の紛争が起こっていた。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”承平八年(九三八)二月中に、武蔵権守興世王・武蔵介源経基と足立郡司で判官代の武蔵武芝とは、互いに武蔵国の政治をめぐって争っていた。聞くところ...
平良兼の夜討が失敗すると、平貞盛は煩悶する。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”自己の地位を確立し、仁徳を修めるには、忠義の行いをする以上のものはない。鮑のような干魚の貯蔵室に滞在していると、生臭いにおいに染まり、ずっとそのようなところにいた者たちの同類として汚名を受け...
上総介平良兼に鎌輪の居館を焼き討ちされ、妻を連れ去られたことで、将門は良兼を強く怨むようになる。ついに宿世の敵となった。
良兼が常陸国の姻戚を訪ねてきたことを聞いて、承平7年9月19日、1800余りの兵を率いて常陸国真壁郡へ到着すると、良兼の居館である服織の宿から良兼方の伴類の家宅で全て焼き払った。...
野本の合戦から下野国境の戦いまでの間に、源護は朝廷に平将門と平真樹らの告発状を出していた。それにより、平将門、平真樹らは都に召喚された。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”将門は、すぐに朝廷に参上して、野本の合戦に始まる一族の争いのいきさつを詳しく奏上した。天皇の裁定に...