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将門って本当はどんな人だったの? その20

むかし、将門が頸、獄門にかけられたりけるを、藤六という歌読が見て、
将門は米かみよりぞきられける俵藤太がはかりごとにて
とよみたりければ、此首しいとぞわらいける。二月に討たれける頸を四月に持て上がりて懸けたりけるが、五月三日にわらひたりけるぞ恐ろしき。(平治物語)
平貞盛、藤原秀郷らは平将門の本拠地...

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将門って本当はどんな人だったの? その19

多くの兵をそれぞれの国へ帰してしまったため、将門の兵は1000人ほどに過ぎなかった。しかも、藤原秀郷らの4000人の軍を捕捉した藤原玄茂、多治経明、坂上遂高ら後陣は将門に報告することなく秀郷軍と戦い、散々に破られて四方の野原に逃げ散っていった。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
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ご当地グルメについて日記を書こう♪

出身が松山なので松山のグルメを^^
おそらく、県外の人はほとんど知らないだろう、いわしの丼がほうたれ丼。しかも、ランチで出していたところがランチを止めてしまったから出ているかどうかもわからない。
ほうたれいわしはカタクチイワシのことで、脂がのってとろとろだけどアシが早いから地元以外では刺身では食べら...

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将門って本当はどんな人だったの? その18

藤原秀郷は藤原北家魚名から数えて、藤成、豊沢、村雄、秀郷と繋がる。秀郷からは千晴、千清、正頼、頼遠、常清、清衡と奥州藤原氏へ、千常、文脩、文行、公光と繋がって佐藤公清からは西行や源義朝の乳兄弟の鎌田正清へつながり、波多野氏、大伴氏、少弐氏など名門に連なる武士の始めとなるが、もともとは平将門を討ち取る...

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将門って本当はどんな人だったの? その17

新皇平将門は常陸国で平貞盛らの探索を続けたが動向をつかむことができず、諸国の兵たちはそれぞれの国へと帰した。そのことを知った貞盛と押領使藤原秀郷は4000余りの兵を率いて合戦を挑んできた。
「物語の舞台を歩く 将門記」村上春樹著によると。
”将門と秀郷の会見説話延慶本「平家物語」には、将...

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