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得宗北条はこうして天下を征服した その8

寿永2年(1183)。源義経が大軍を率いて上洛していること、多田行綱(摂津源氏)、源光長(美濃源氏)、延暦寺、園城寺らが味方についたことで、後白河院は院御所である法住寺殿を武装化する。義仲は11月19日に法住寺殿を襲撃する。平家物語によると後白河院方が20000、義仲方が7000だったが、義仲勢...

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得宗北条はこうして天下を征服した その7

寿永元年(1182)、北陸宮を擁護した源義仲は以仁王の挙兵を引き継ぐと、寿永2年(1183)に野木宮合戦で頼朝に敗れた志田義広、頼朝から追われた源行家を庇護したことで、義仲は頼朝と対立。義仲の嫡男義高を頼朝の娘の大姫の婿とすることで和議が成立する。 義仲勢は平維盛が率いる大軍を北陸に受けて、越...

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得宗北条はこうして天下を征服した その6

治承4年(1180)11月4日。上総広常、千葉常胤、三浦義澄らの佐竹討つべしの言を入れた頼朝は平家追討を諦めて常陸国府に入る。当主佐竹隆義は在京中で留守、嫡男佐竹義政は縁者の上総広常が誘い出して誅殺、金砂城に立て籠もった三男の秀義はよく戦ったものの、頼朝方が秀義の叔父佐竹義季を味方に引き入れて義...

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得宗北条はこうして天下を征服した その5

治承4年9月1日。頼朝挙兵の報は大庭景親の早馬によって、福原にもたらされた。平清盛は激怒して討伐隊を編成する。清盛の嫡孫にあたる平維盛を総大将に、平将門を討った藤原秀郷の子孫にあたる藤原忠清を次将として、清盛の異母弟の忠度、清盛の七男の知度をつけて送り出した。9月5日の頼朝追討の決定から17日も...

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得宗北条はこうして天下を征服した その4

治承4年8月28日、箱根権現別当行実に匿われて大庭景親勢の残党狩りから逃れた頼朝、土肥実平は真鶴から安房へと船で渡る。途中、衣笠城の戦いで海へと逃れた三浦一族とも合流し、8月29日安房国平北郡猟島(現千葉県安房郡鋸南町)に上陸する。頼朝は房総で勢力を持つ上総広常、千葉常胤に加勢を要請し、下総国の...

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