得宗北条はこうして天下を征服した その13
- カテゴリ: 勉強
- 2020/03/13 15:55:05
正治2年(1200)正月20日。御家人66名(千葉常胤・三浦義澄・千葉胤正・三浦義村・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・所左衛門尉(藤原)朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・波多野忠綱・大井実久・若狭忠季・渋谷高重・山内首藤経俊・宇都宮頼綱・榛谷重朝・安達盛...
正治2年(1200)正月20日。御家人66名(千葉常胤・三浦義澄・千葉胤正・三浦義村・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・所左衛門尉(藤原)朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・波多野忠綱・大井実久・若狭忠季・渋谷高重・山内首藤経俊・宇都宮頼綱・榛谷重朝・安達盛...
建久8年(1197)7月14日。頼朝と政子の長女の大姫が病から回復することなく病没。義高死後、7歳だった大姫は義高を慕うあまりに心を病んでしまう。摂政の近衛基通、頼朝の妹の子の一条高能、入内計画とあったが大姫の拒絶もあって実現しなかった。享年20。 建久9年(1198)9月17日。頼朝の甥の一...
建久4年(1193)5月。富士の巻狩で大事件が起こる。 5月28日、工藤祐経を父親の河津祐泰の敵と狙う曾我十郎祐成と曾我五郎時致が巻狩の最中に工藤祐経の寝所に押し入って討ち果たし、騒ぎを聞いて駆けつけた武士たちの囲みを破った五郎時致が頼朝の寝所へ押し入るという事件で、夜中の出来事にもかかわらず...
文治3年(1187)2月。源義経は奥州藤原氏を頼って平泉に身を寄せた。藤原秀衡は正室腹の次男の泰衡を嫡男とし、側室腹の長男の国衡に自分の妻の藤原基成の娘を娶らせて、国衡と泰衡を義理の親子関係として、義経を主君と仰いで鎌倉と対抗しようとしていたが、文治3年10月29日に死去してしまう。 文治5年...
元暦元年/寿永3年(1184)6月16日。甲斐源氏の一条忠頼が鎌倉に招かれて酒宴の席で、頼朝の命を受けた天野遠景によって謀殺される。 吾妻鏡では「威勢を振ふの余りに、世を濫る志を挿む」(6月16日条)とあるだけで、どうして一条忠頼が処断されたのかはっきりしたことは書かれていない。 富士川の戦...