芭蕉が愛した木曽義仲 その17
- カテゴリ: 勉強
- 2021/07/30 17:14:06
能楽に「巴」と「兼平」という曲がある。 「巴」は木曽の山奥の僧が都へ上る途中、粟津で里の女が神前で涙を流している。わけを尋ねると「ここは木曽義仲の御霊がおられる」といい、「わたしの名前は里の者に尋ねなさい」と言って消えてしまう。木曽の僧はここで一晩中経を読むこととして神事に村の者もやってくる。『平...
能楽に「巴」と「兼平」という曲がある。 「巴」は木曽の山奥の僧が都へ上る途中、粟津で里の女が神前で涙を流している。わけを尋ねると「ここは木曽義仲の御霊がおられる」といい、「わたしの名前は里の者に尋ねなさい」と言って消えてしまう。木曽の僧はここで一晩中経を読むこととして神事に村の者もやってくる。『平...
九条兼実は「玉葉」で「義仲天下を執る後、六十日を経たり。信頼の前蹤と比するに、猶その晩きを思ふ」と平治の乱で敗北して斬首された藤原信頼と比較し『平治元年(1160年)12月9日に源義朝、源頼政らと挙兵し、藤原信西を自害に追い込み実権を掌握。しかし、翌日平清盛が帰京すると、二条天皇を奪われ、幽閉してい...
日照山徳音寺(長野県木曽郡木曽町日義)は木曽義仲一族の菩提寺。義仲の霊廟があり、上段に義仲の墓、下段に樋口兼光、巴御前、小枝御前、今井兼平の墓が建立されている。 木曾三社神社(群馬県渋川市北橘町下箱田)は、義仲が粟津で討たれたのち、遺臣の今井氏、高梨氏、根井氏、楯氏、町田氏などが義仲と巴御前の遺児...
木曽義仲の墓所は朝日山義仲寺(滋賀県大津市馬場)にある。鎌倉時代後期には義仲寺または無名庵との記述があり、巴御前が義仲を日々供養したことが始まりといわれている。 木曾の情雪や生えぬく春の草 松尾芭蕉 元禄4年(1691年)1月義仲の墓の前で詠んだ句で、元禄2年(1689年)5月13日に平泉で義経...
今井兼平と2騎となった木曽義仲は、鎧が重くなったと弱音を吐く。激戦に次ぐ激戦で味方は劣勢。絶望的な敵味方との差は鬼神の如き義仲でもひっくりかえすことは不可能だった。兼平は自分を千騎と思ってくださいと励まし、武士の名誉のために静かに自害されよと粟津の松原へ行かせた。義仲は自害するために松原へ向かうが馬...