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竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その11

出雲は一大タタラ場であったが、すべて朝廷に奪われた。朝廷に逆らった出雲臣たちはほとんどが殺され、殺されなかった者は蜘蛛と呼ばれて蔑視されていた。京都にある出雲は、出雲臣が奴隷として閉じ込められていた名残で、 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を 素戔嗚尊 日本最初の和歌も垣を...

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竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その10

大国主命、事代主は出雲の国譲りで、朝廷側に殺害された。おそらくは神在月の頃。毎年、旧暦10月11日から17日に出雲では神在祭が執り行われる。期間中は「謹慎斎戒して、歌舞音曲を行なわず、宮廷を払わず、家宅を営まず、最も静粛にして過ごす」ことになっている。旧暦10月17日から万九千神社で、旧暦10月18...

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竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その9

一大タタラ場出雲といえば大国主命で、日本最古の薬の記録が大国主命が使った蒲の花粉とされている。 高田崇史『QED 竹取伝説』によると。 「大国主命の兄弟の『八十神』たちは、稲羽―因幡の八上比売と結婚しようとして、みんなでこぞって出かけた。その時に大国主命(大穴牟遅)は、大きな袋を一人で担がされて...

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竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その8

もともとは水銀や鉄を知る「丹」に関係する人々を蜘蛛と呼んでいたものが、時を経るに従って、朝廷に逆らう人々が「蜘蛛」あるいは「熊」と呼ばれるようになった。日本武尊が九州征伐は熊襲建(くまそたける)の討伐だった。出雲は蜘蛛が出てくるところであり、熊野も吉野も朝廷に対するレジスタンスが多く住んでいたところ...

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竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その7

高田崇史「QED 竹取伝説」によると。 織機の部品のひとつで、多数の竹片を櫛の歯のように連ねて長方形の枠で固定したものを竹筬(たけおさ)といい、40数㎝幅の木枠に竹ひごが多いもので1400本ほどはめられている。この目に経糸(たていと)を通して糸の間隔を整え、そこに緯糸(よこいと)を通しながら圧して...

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