芭蕉が愛した木曽義仲 その7
- カテゴリ: 学校
- 2021/07/13 16:58:54
義仲の入京は、養和元年に起った大飢饉の影響が強く残っていた時期で西日本一帯が食糧不足に陥っていた。『方丈記』で鴨長明は「又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五穀ことごとくみ...
義仲の入京は、養和元年に起った大飢饉の影響が強く残っていた時期で西日本一帯が食糧不足に陥っていた。『方丈記』で鴨長明は「又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五穀ことごとくみ...
大石ら赤穂浪士による討ち入り後、幕府は四十六士の処分を「切腹」と決めた。林ー浅見ラインの意見をそのまま「大名の家臣(大石のような陪臣)が主君の大名に絶対的に忠実でならば、大名の将軍に対する忠義も揺るぎないものになるに違いない」と考えたのだ。
つまり、幕府は大石らの主張に理があると認めたことになる。
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「経営者・平清盛の失敗」山田真哉著 講談社
「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」の著者が「平氏滅亡」について会計士の目線で語っている本です。
世界史で見ても日本史で見ても、平氏の滅亡は不可思議です。平氏と源氏では平氏のほうが圧倒的に経済的に有利だったから。局地的な戦闘ならともかく国土を統一しようとする...