Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


英雄は誰を殺し大人になるか

英雄は誰を殺し大人になるか。

「ストーリーメーカー 創作のための物語論」
/大塚英志著

の内容に書いてあった項目のひとつです。

あの本自体はあまりに論理的整合性を重視しすぎて
読んでも興味の持てないものでしたが、
(論理性を求めるあまりに読みやすさが欠ける典型例です)

書いてある内容は至極まともなものです。

論理的なので、当然ですね。

問題は、ここから。

英雄は誰を殺し大人になるか。

ここから展開をしていきたいと思います。

感覚的にお分かりかと思いますが、
スターウォーズの話が中心になります。

大塚英志さんの著書でもそうですが、
物語論の中軸になるのはやはり名作です。

あの論を一言で語ると、
名作は基本に忠実だから売れる

というだけの論になってしまうかと
思いますが、

今日の話は
英雄は誰を殺し大人になるか
という単純なものです。

まず、英雄の定義から。

英雄を定義するとするなら、
まず、偉大な人です。

偉大かどうかは、人々の反応次第です。

それから、歴史的功績を打ち立てた人。
ただし、戦犯などは英雄ではありませんから
これはこの限りではありませんね。

ここでぶつかるのは、
人々の印象と評価によって
英雄は決められるのであって、

本質的に生まれてから英雄という人はいないのです。

なので、時代が英雄を作ったとも、
物事の時流が英雄を作ったとも言えるのです。

個人的に英雄を定義するなら、
人々に尊敬される人、ですが

これはあくまでスケールは問わない
というだけの視点の話です。

例えば、だれもが個人のレベルまで
すべての人を知っているわけではありませんから、

(地球人を定義してしまえば別です)

どんなサイズの英雄でもいいわけです。

例えばやんちゃ坊主は家族の英雄かもしれませんし、
恋人は自分の英雄かもしれません。

要は定義によって英雄は変わってしまうということです。

ここで重要なのは、
英雄を定義するならある程度共感が得られるレベルじゃないと
いけない。

人殺しを尊敬する文化はありませんから
やはり尊敬される人=偉業を成し遂げた人
が適用されるわけです。

偉業とは、皆に認められる功績です。
認められないと、認知されませんからね。

さて、英雄は誰を殺すか?

反対に、誰を殺していいのか?

そういう構図になると、答えは明白です。

父親です。産みの親です。

よく、ロボットに開発者が殺される構図は
よく見かけますが、

生まれた理由=誰かを殺す=イニシエーション(儀式)(=宿命)
の構図が成り立つのなら、

殺していいのは父親だけです。
他人は、もってのほかです。
関係ありませんから。

母親は、殺せません。
どちらかというと、父親が母親を殺してしまう場合が多いです。

ちょっと物騒な話になっていますが、
物語の構図の話です。

英雄という部分関数があると、
出てくるのは悲劇の構図です。

熱力学的に、英雄という選ばれた血筋なら
悲劇を歩む場合が多いのです。

単純に、普通じゃないから。

変態が差別されるのと同じ構図です。

もっとも、生まれつきの変態がいるかどうかは別です。

話を戻します。

平衡の問題で、

特別な場合は差別的待遇を受けやすい。
遺伝的に、わずかに「普通」の割合が高いためです。

プラスに振れると、マイナスに振れやすい。
旧式の体重計を意識してもらえると
分かりやすいと思います。

(体重計の上で跳ねてみてください)

……そんなことはどうでもいいですが、

特別な場合は、マイナスの待遇を受ける可能性が高いのです。
英雄なら、宿命に終わる。

特別な血筋は、血塗られた血筋なのです。

(言い換えると一番平均値に近い血筋が
一番強いのですが。)

英雄論のミソは、ここです。
血塗られた結果に終わるから、
みんなが期待して見てしまう。

英雄が真に尊敬される理由は、
人柱という結果が待っているからです。

これは、何の役にも立たない人は
英雄とは呼べない、という論点でもあります。

つまり、何か特別な役割がある
=みんなの犠牲になる

要素が非常に強いのです。

(それがフェアなものなら
労働的要素で消費できるでしょう。

極端に「特別」に振れた場合、
「犠牲」でその意味は払われる可能性は高いのです。)

ここまで言ってしまうと、

英雄は悲劇の象徴なのか、
という流れになってしまいますが、

何を以て英雄とするか
という定義に手がかりはあります。


民衆の言う、「英雄」になるには
社会的貢献が必要です。

それも、絶大な、です。

その貢献には、犠牲は付き物です。
民衆の言う「英雄ベクトル」を破るためには

悲劇的努力も仕方ないのです。

簡単に言ってしまうと、
報われなかった代わりに英雄呼ばわりされるとも言える。

スターウォーズはフィクションなので言いますが、
英雄呼ばわりされるのは、
報われない代償でもあるのです。


これから抜け出す一番簡単な方法は、
自分がそれぞれ自分の英雄である

ということです。

自分のために多少犠牲を払うのなら、
誰だって文句は言いませんよね。

それぞれ個人が、一人一人の英雄と意識するなら、
個人の幸せと社会的貢献が両立するかもしれませんね。

アバター
2013/11/19 03:11
あっちにもこっちにも足跡を残して申し訳ないですが(;´・ω・)
英雄論ですか。

確かに英雄は誰かのための犠牲となることで英雄とされる感じがしますね。
神の声を聴いたと感じ、民衆のために剣をとっり、のちに魔女として処刑されてしまった「ジャンヌ」
ブリタニアを守る屈強な戦士「アーサー王」

一方で誰かを救うためにと立ち上がった世界の母「マザー・テレサ」は英雄とは言われないような気がします。

コメントを違反申告する
アバター
2013/10/22 20:48
自分を考え直してみるよ
コメントを違反申告する




Copyright © 2021 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.