Nicotto Town



SF最初の一冊としての『夏への扉』


オールドファンなら頬を緩める古典SF『夏への扉』。
昔はSF未読の初心者に勧める定番でしたが、今は否定的な意見が多いらしい。
高齢者がSF初心者に『夏への扉』を勧める理由を、しばし妄想考察しましょう。

黄金期のアメリカSF作家界で有名だった言葉がある(誰が言ったか忘れた)。
「我々の本は一杯のビールと引き換えにする価値と満足を与える義務がある」
労働者がアフター5に呑むビールと1冊のSFの満足度を比べるとは、奥深い。

商業主義は嫌いだが、読者を楽しませてナンボという物書き魂には納得しちゃう。
アニメでもコンサートでも展覧会でも「ああ、楽しかった!」と思ってもらえれば勝利。
『夏への扉』にはハインラインのサービス精神が溢れていると思うんです。

次にSF・青春小説の定番ガジェットを詰め込んでいる点でしょうかね。
タイムマシンに各種の発明品は『Back to the Future』の元ネタでしょう。
冷凍睡眠も出てくるし、失恋や友の裏切り、支えてくれる恩人、猫と少女……。

こういうのって娯楽SFの基底面、和歌における万葉集みたいなモンです。
『夏への扉』を楽しんだからこそ『たった一つの冴えたやりかた』も楽しめる。
SFを楽しむ上での基礎教養っていうのかな。それが無理なく入ってる気がします。

オタクの先祖的な主人公造形もSFジジイには嬉しい部分です。
本好きは神田、楽器弾きはお茶の水、電子マニアは秋葉原に通った時代、
主人公の行動や感性には、内向的な若者の熱情のほとばしりが感じられる。

思弁的な要素が皆無である点もたいへん好ましい。
ハインラインで一番好きなのは『異星の客』だけど、初心者には勧めないよねー。
SFの醍醐味の一つは思弁小説の要素だけど、好きになってから読めばいいでしょう。

そして、あの有名な書き出しに始まり、あちこちから立ち昇る、ほのかな詩情。
シマックやコードウェイナースミスとは違う。まあ、ブラッドベリ寄りですね。
陳腐と叱る人もいよう、だがそこがいい。ビール一杯と引き換えの悦楽だもの。

『夏への扉』を語るうちに思い出した映画があります。
1960年公開のアメリカ黄金期のラブコメディ『アパートの鍵貸します』。
ビリーワイルダー監督、主演ジャックレモン、ヒロインはシャーリーマクレーン。

ハリウッド最高の一作です。この娯楽への献身と『夏への扉』が重なる。
ラブコメ映画語るなら『アパート~』観てからにしてほしいわけですが、
SF好きと名乗るなら『夏への扉』の良さも語れないとイカンと思いますです。

結局はSFという空想科学小説の一つの代表的モデルだから、ということだな。
かく言う私、もう四半世紀は読んでないけど、やはり名作だと思うんです。
結論。やはりSF未読の人に最初に勧めるなら『夏への扉』で宜しい。決定。

(マニアな方のための追記)

昔から変わらぬオールタイムベストの陳腐さに業を煮やし、
『涼宮ハルヒ~』『マルドゥックスクランブル』『虐殺器官』等々、
新しめの国内作品を勧めるムーブメントがあるようですね。

初心者≒多感な少年少女と考えた場合、こうした動きには十分な説得力がある。
『サラダ記念日』で和歌を面白いと思い、西行や実朝まで遡る人もいるだろう。
新井素子の初期作や日渡早紀のコミックもSF好き女子を増やすのに貢献した。

ですが上記の国産品、決して『初心者向け』って思わないのは私だけかな?
『銀河ネットワークで愛を歌ったクジラ』あたりなら少しは納得するけど、
これだって『白鯨』と『ジョナサンと宇宙クジラ』を読んどくほうがいいし。

別のムーブメントもある。ハードで緻密な世界観重視型の大作を勧めている。
VR/仮想世界の隆盛や『ソードアートオンライン』人気を受けてるんでしょうが、
SFという観点からはちょっと……。『SAO』をSFと扱うのにも抵抗あります。

通人・ビョーニン好みの重厚な名作を強烈にプッシュする人もいる。
『ソラリス』も『ノーストリリア』も『1984』も『電気羊』も好きですよ。
でも初めて読んだのがこれらの作品だったら、SFにハマったか疑わしい。

七歳で『ラルフ124C41+』を初めて読んだことが私には僥倖でした。
両親に連れられていった本屋で自分で選んだ(俺、賢かったんだな)。
1911年に書かれたこの作品に出会ったから、SFを好きになった気がします。

SFのSはやはりサイエンス、科学技術が人類の可能性を拡張する明るい物語。
文学という芸術が人類に寄与するなら、SFも人類に貢献せねばならん。
初心者向きの最初の一冊には、そういう理想や夢があってほしいのです。





Copyright © 2021 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.