Nicotto Town


天使の棲む街


一段落


本日7/10をもちまして祖母の葬儀と法要もつつがなく終了し
とりあえず一段落いたしました。
まだ納骨や四十九日等やるべき事は色々残っておりますが
それでも葬儀が終わってとりあえず一区切りです。

産まれる前に既に亡くなっていた父方の祖父を除くと
くりすは今までに5人の祖父母を見送っておりますが
やはり最後に残った長老ということで何とも言えない寂しさもありました。

ここでおや?と違和感を覚えた方もいらっしゃるかも知れませんね。
実はくりすには6人の祖父母がいる…というかいました。
父方の祖父母と母方の実の祖父母、そして母方の戸籍上の祖父母です。
別に悪い事したわけでもないので簡単に説明すると
ウチの母親は実の父母(くりすからみた実の祖父母)から
子供に恵まれなかった兄夫婦へと戸籍上の父母(くりすからみた戸籍上の祖父母)の
養女になったのです。なので6人w

今回亡くなったのはくりすにとって戸籍上の祖母でしたから
直接的な血の繋がりはありませんでしたが(戸籍上の祖父は一応親族でしたが)
物心ついてから小学校高学年まで実の祖母だと思って接していたので
本当の祖母ではないと知ってからも他人という感覚は全くありませんでした。
むしろ今は一番近い本当のお祖母ちゃんが亡くなったんだなぁという想いです。
(実の祖母にはちょっと罪悪感もありますが…勿論実の祖母の事も好きですよ^^)

ただ、勿論亡くなった事は寂しいですが正直ホッとしている自分がいるのも事実です。
亡くなる直前まで産まれてこの方一度も入院した事のない健康が自慢の祖母でした。
お寺の方には和裁と料理が上手なお婆さんと言っていただきました。
それ故に病院のベッドの上でチューブで繋がれ生き永らえさせられている
祖母を見るのは辛かったですし、何より本人が一番不本意そうでした。
一見回復しているとは言え、
他にも色々と悪いところが出てきて手足を切断しなければいけないかもしれない所でした。
それ故に最期は僅かながらご飯を食べて、
眠る様に亡くなったのは救いだったと思います。
しかも7/7だなんて忘れようにも忘れられないですよね。
もしかしたら祖父がわざわざこの日を選んで迎えに来てくれたのかもしれませんw

まあ最初に書いたとおりまだまだやるべき事は残っておりますが
とりあえず一区切りついたのでご報告を兼ねて思い出話でした。
色々とご心配やコメントくださった方々には
この場を借りて改めてお礼申し上げますm(_ _)m

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2011/07/12 11:54
>オレンジブラン様

母は4人姉弟の長女だったのですが、下に弟2人と妹が1人います。
多分母親より男子が2人先に生まれていたら次男の方を養子にしていたのでしょうけども
その時はまだ男の子が1人しかいなかったので
さすがに遠慮して母の祖父が女の子である母をもらってきたようです。

昔は今よりも家を継ぐとかお墓を守るという事が重要視されていたでしょうから
子供が生まれなかったからといって
夫婦2人で生活を楽しむという選択肢があまりなかったのでしょうね。

人が亡くなるタイミングは本当にその人の意思だと私も思います。
祖母が入院した当初は風邪気味だったのを様子みていて
病院へ連れて行くのが遅れたせいかとても苦しそうだったのですが
多分その時点で亡くなっていたら母親が自分を責めていたのではないかと思います。
そう考えると祖母はその負い目を負わせない為に一度頑張って持ち直して
それからそっと静かに亡くなってくれたのでは?と思わずには居られません。

オレンジブランさんのお話が聞けて色々と救われた思いがします。
語彙が少なくて上手く表現できなくてもどかしいですが
実体験を交えた沢山のお言葉本当にありがとうございました。
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2011/07/12 11:40
>銀治郎様

労わりのお言葉ありがとうございます。

そうそう、葬儀自体も大変だけれどそれ以上に大変なのが事後処理なんですよね。
主に両親がやってはいるけれどこんなに大変なのかと毎回思っております。
向こうにまだ家とか仏壇とかもあるからいつになったら落ち着くのかって感じです^^;
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2011/07/12 09:38
女子を養子に、ということもあるのですね。
母の弟(男子4人のうち3番目)も、京都の縁戚へ遊びに行って、養い親と
相性が良かったというので、跡取りとして養子にもらわれ、両親が3組いる
という話を聞いていました。
養子縁組というものが、珍しくなかったんだなあと、小さいころから思って
いましたが。。

父が亡くなって原戸籍謄本というものを見ることになり、
父の従兄(二男の長子)も、一族の長兄の家へ養子に行き家督を継いでいる
のも知りました。こちらは血筋重視って感じだな~、な香り・・^^;

夫の祖母が、くりすさんのお祖母さまのように、健康で、付き合いも幅広く。
畑仕事にもよく働くので赤銅色に日焼けした、ツヤのある肌が魅力でした。
家を建て替え、息子夫婦や孫ひ孫が帰って来れるようにして、息子夫婦が
帰って来てしばらくの頃でした。
亡くなる前の晩には、自分の下着も洗ってから就寝し、そのまま、
朝、起きてこなかった・・という最期だったそうです。

新盆にはその家の前で盆踊りを踊るという風習があり、近所の子供が踊りに
来て、(おそらくは長男で、バァちゃん同士の付き合いがあるがバアちゃんは踊る
体力がなく、その子が代行しに来ている)、
ごほうびで冷たい飲み物や菓子をもらえるのですが、(下の兄弟のために?)
余分に貰って帰る姿が、ほほえましいものでした。

私も父が亡くなった時は、最初信じられず、しかも検死が混んでいて^^;
遺体がなかなか家に戻ってこなくて・・・なかなか父の死を受け入れられず、
ぐちゃぐちゃうと考えることになったのですが・・・。

遺体に会い、喪服をとりに、一度自宅へ戻ったとき、電車の中でボタボタ泣きましたが、
「でも、もう、お父さんが死んじゃうかも、って心配はしなくてよくなるんだな・・」
という点に気づき、ホッとしていました。
(いや実に、父は2~3年に一度、無理をして冬に調子を崩すのを繰り返していたので^^;)

御高齢や病気をなさった方は、何かのタイミングを、自分で選んで逝くのだろうと思います。
四十九日間、お祖母様が心軽く、極楽まで迷わず旅路を歩まれるよう、お祈り申し上げます。
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2011/07/11 00:06
一区切り
おつかれさまでした^^
そうだね、まだこれからやらなくちゃならないこと
たくさんあるからね!
ご先祖様のために、がんばってください^^



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