今日も爽やかな朝です♪
- カテゴリ:日記
- 2011/07/16 08:46:29
昨日は朝から風があり、暑いけど爽やかな日でございました。
新庄市のアル会社の倉庫に集まった支援物資の中から、夏物衣料を選び出し、
昨日、石巻へもって行きました。
私は初めての、震災後の石巻。
行きは夫の運転で、アレコレ説明を受けながらの道中でした。
古川を過ぎて涌谷町あたりから、道路の所々に盛り上がりがありました。
震災により出来た亀裂や段差をアスファルトで埋めたためです。
屋根瓦がずれたままの家もありました。
家と家の間に更地が出来ており、それらはすべて倒壊家屋のあとだそうです。
津波被害は届かずとも、震災の大きさを物語っていました。
石巻市内は、まだ信号が復帰しておらず、信号機のある交差点にはおまわりさんが立っていました。
暑い中、ご苦労!
夫曰く、みんな1階まで冠水している建物らしいのですが、
パッと見た限りはもうスッカリきれいになっており、ここまで津波が来たなんて思えません。
でも、ここまでするのが大変だったようです。
もうお店を復帰させるまでに至ったところも数多くあり、少しずつ日常を取り戻してると言う感じ。
でも、それはこの市内まで。
日和山という石巻の漁港が一望できる高台へ行きました。
海沿いはテレビで見るそれと同じ、所々に建物が残り、後は一面何も残らず、ただ上から見ただけでは何だかよく解らない感じ。
でも、現場へ行くと見えなかったものがよく見えてきます。
まず、家が残っている辺りは、ボランティアが入って家の中のものが整理され、畳やヘドロがかき出されていて、窓も戸も開け放たれています。
まだ片付いていない家は、製紙工場から流れてきた紙の塊が庭木や外壁だけじゃなく、家の中の倒れている椅子や箪笥にまで絡み付いて乾き、凄まじさを物語っています。
家の基礎しか残っていない辺りは、本当にこれが津波による被害だけなのかと、呆然とします。
よくニュースなどで見る、空爆でも受けたかのようです。
所々水溜りがあり、それは水ではなく海水溜りだそうで、そこを車で通る時は跳ね返りが無いようにユックリ慎重に運転します。
石巻市門脇小学校の前も通りました。
津波を被った上に火災により校舎の半分が黒く焼けたあとが残り、
まるで本当に戦争映画に出てくるセットのようです。
校舎の3階まで来る波を想像つくでしょうか?
末っ子が通う校舎を見てその高さを確認してももピンと来ないのです。
でも、傷跡残る建物を見ると、その大きさ、強さが見えてきます。
これほどの波に襲われ、どれ程恐ろしかったでしょう。
今回は、夫達が寝泊りしている渡波地区の公民館に支援物資を届ける事が目的です。
そこは津波被害は無かったものの、地盤沈下で潮位に変化があると床下あたりまで浸水してしまいます。
また、震災で崩れたり傾いた家屋もあります。
車を走らせていると、道路と道路脇が30センチくらい段差があります。
脇に寄せすぎると落っこちてしまいそうで怖いのですが、浸水で通行止めにならないよう道路の高さを上げたという苦肉の策みたい。
道路沿いの家は土嚢を積み上げて、浸水を防ぐ準備をしていました。
夫達がよくお風呂を貰っているカツ子さんの大事な畑も海水が溜まって池状態。
干満潮の時はボラがスイスイ泳いでいるそうな。
海辺を見ると確かに波打ち際が直ぐそこに来ており、
これから先、この辺りの人たちはどうするのかしら…
荷物を届け、さらに女川まで足を運びました。
女川はまた石巻と違う凄まじさが残っています。
3階建て、4階建てのビルが倒れているのです。
根こそぎ倒れているのです。
そのビルを建てる時、壊れたり必要なくなったであろう斧などの道具が、
コンクリートで固められた基礎から顔をのぞかせ、
建築業者はまさかこんな事でバレちゃうなんて思っていなかっただろうなぁ~。
ま、今更誰も追及しないだろうけど。
女川の駅も入り口とエレベーターの乗り場が僅かに残っているだけで、
線路はもう撤去され、そこが駅だったなんてパッと見ではわかりません。
まだボランティアの手が届いていない家が多数あり、後ろの見えない作業がたくさん残っていると言った感じです。
昨日持って行った夏服の支援物資は、今日明日中に鮎川という地域にもって行く予定だそうです。
鮎川には、有志が作った無料の古着屋さんのような店舗があるそうで、
私がきっちりたたみ直したお洋服たちがそこに並ぶのでしょう。
また時間がある時に、何か出来る事をしにいきたいと考えています。
間もなくあれから4ヶ月。
春を迎える頃、少しでもみんなの心に希望が湧いていますように。