清志郎に捧ぐ
- カテゴリ:日記
- 2009/05/03 23:04:47
お別れは突然やってきて すぐに済んでしまった
いつものような なにげない朝は
知らん顔してぼくを起こした
電車は動きだした 豚どもを乗せて
ぼくを乗せて
次の駅でぼくは降りてしまった
30分泣いた
涙をふいて 電車に乗り込んだ
遅刻してホールについた
ぼくらは歌い出した
君に聞こえるように 声を張り上げて
空を引き裂いて 君がやって来て
ぼくらを救ってくれると言った
検屍官と市役所は
君が死んだなんていうのさ
明日 また 楽屋で会おう
ああ、命あるもの必ずその命全うする日がやってくるのは当然の事。
だから、これは仕方がない事であり、今後もこうやって悲しい気持ちになる日は何度もやってくるんだな。
私が初めて聞いたRCサクセションの歌は、おそらく『トランジスタ・ラジオ』
貸しレコード屋さんに行って片っ端からレコードを借りた。
ハードフォーク時代を言われた頃の、フォークギターと清志郎のあの声が大好きだった。
ぼくの自転車の後ろに乗りなよ
イエスタディをうたって
大きな春子ちゃん
ヒグマ君の自転車の後ろに乗りなよ
ダーリンミシン
ぼくの好きな先生
悲しいなぁ…本当に悲しいなぁ…
子供の頃、学校から帰ったら母が泣いていた。
ビックリしてドキドキしていたら、気がついた母が言った。
『プレスリーが死んだのよ…』
お母さん、あなたの気持ちが今ならわかる。
今日は昔のカセットテープを引っ張り出して聞くのだ。
私達はこうやって歳を重ねていくのだ。
大好きだった歌…体操しようよ
君が一番ステキだった
体操をする君をみんなが1,2,3,4
見ていた ブブンブブン
さようなら また明日
バイバイ またね
また明日一緒に…
診療時間外でも状況によってはね~
医者も人だが、患者を診てナンボ、「赤ひげ」ほどはいかなくても怪我や苦しんでる
患者が来院した場合不在じゃない限り診て欲しいものです。
以前、クリニックへ営業に行くのが多かった時、先生によっては「金」のみみたいな話を聞いた時、
いくら営業相手だと言っても「おいおい・・・」でした。
子どもを持つ親としては、営利のみ考えてるクリニックには行くきもしないですよね~
胃潰瘍の時は、ほんと大変でした^^
ちょうど独立のバタバタしていた時で、流石に診療に行かないといけないが準備や、色々手続き回りで
忙しく、大体治ったと思ったとたん診察に行ってないんですよw もう大丈夫だと思うが・・・
当時は、昼も食べずに営業したり、遅くまで働いていたので(今でもそうだが)不摂生が原因だと思います。
ほんと、お互いに気をつけましょう♪
お医者さんって大変な仕事だと思う。
でも、そうやって目の前に具合の悪い人がいて、診療時間が終わっているからって断れるのって…
次女が2歳くらいの風の強い日に、玄関のドアを開けた途端に突風でドアが閉まって指を挟んだ事があるんです。
土曜日の午後で、悲鳴が聞こえてビックリして駆けつけたら指先から血があふれてるし、爪は浮いてるようだし。゚(゚´ω`゚)゚。ピー
急いで一番近くの小児科に駆けつけたんですが、その時のインターホン越しの一言がまさにそれ。
診療時間が過ぎてるし、骨が折れている場合ウチでは見れないから駅前の外科に行ってください。
気持ちは分かる。
そんな風に次から次からくる人を見ていたらお医者さんの休みは無くなっちゃう。
でもねぇ、心情的にはもうアッタマ来たなぁ…
チラッと見て、ちょっと血でも拭き直してくれて、この辺りは此処と此処に外科があるからって言ってくれたら、
こんな風に思わなかったのにって思う。
教えてもらった外科も閉まっていて、こちらまで泣きそうになりながら自転車で駆けずり回って、
電信柱に休日診療もやっている外科の電話番号が書いてあったのを発見した時は、
神さまありがとうって心底思いました。
その小児科には二度と行きませんでしたねぇ…
何だか許せなくって。
しかし、6個も穴が開いていたとですか。
普段健康だとわかんないんですよね、その痛みが良くない痛みって事。
ウチのおばも風邪でも寝込まない人で、咳が続くわって言ってたら肺炎に罹っていて即入院してました。
私もストレスとは無縁と思っていたけど、禿げたり狭心症になったり、自分が思っているほど楽天家じゃなかったのかとびつくりです∑(゚ω゚ノ)ノ
お互い気をつけましょうねぇ♪
それを見ると身体を大事にせねば。。。と考えますね。
営業時代も、よほど痛くなければついつい放置してしまうので怖いです。。。
数年前の独立開業時に、十二指腸潰瘍になりました。
普段、何も気にしないプラス思考な性格でそんな病気などなる事は無いと高をくくってましたが
開業段取りでの徹夜続きや、色々でやられたんだと思います・・・
6個も穴が開いていたようで、最初痛いな~と思った時はお腹が空いているだけだと思ってました。
とあるクリニックに営業に行った時に動けないほど痛くなってそのクリニックの先生に営業よりも診てもらえないですか?
と聞いたら、診療時間が終ってるので無理!と言われ、もう少しで危険な状態になりながら、
地元の胃腸科まで車を飛ばしました。
大人になって久々の大きな病気で、さすがに身体を大事にせねば・・・と思いましたよ^^
母はその後糖尿病になり、これも今では血糖値も安定しているんですが、
長年罹っていたため色んなところに不具合が生じています。
糖尿はそこが怖いです。
私は母の糖尿病生活をずっと見てきたので、罹りたくない病気の№1が糖尿病ですね。
生活習慣病というだけ合って、食事や生活態度には気をつけています。
気をつけているんだけど右肩上がりの体重がちょっとヤバイですね(o´ェ`o)ゞエヘヘ
病気になってもならなくても繰り返しがきかない日々だから、大事にしたいですね。
つい、無意味に過ごしちゃう日も結構あるけど…
とりあえず今日は子供達振り替え休日なので私は早起きしなくて良かったんだけど目が覚めてしまったから、
ゆっくり朝を楽しもうっと♪
なんとかでしたが、最初の医大での2回の手術での首の皮膚の移植の失敗で胸の皮膚や、
腕の皮膚を取られ、飲食店での中華鍋が振れないため晩年は苦労してました。
また、喋るのが好きなのに喋りにくく、亡くなる前はすごく苦しんでいたようです。
あの姿を見ていると、もし同じようになったら手術をせず好きなことして残りの人生を生きたいな~と思いました。
健康な時は何も考えないけど、病気になるともう少し大事にしておけば・・・と後悔しますね。
ま、鬼が笑うから考えないようにしておきます^^
そうだったんですか、お父さんの事、つらい話ですね。
母が倒れた時私はまだ子供だったから、難しい事は何も聞かされていなかった。
手術を待っている間、東京から来ていた叔父に天王寺動物園に連れて行ってもらった記憶がある。
近かったんですよ。
でも、大人になって何かのきっかけでその時の話になった時に、
実は結構難しい手術でそのまま目が覚めないかもしれないと言われていた様な事を聞いた時は驚きました。
麻酔から目覚めない母を心配する父の後姿は記憶に残っているけど、あの後姿にそんな理由があったなんて。
よく決断したなと思うけど、でも、受けなきゃ仕方がなかったから選択肢はなかったんですよね。
母が倒れた年齢は超えたので、ちょっと一安心ですが、
長女が保育園を卒園する1ヶ月前に、同じクラスの子のお母さんが母と同じ脳腫瘍で亡くなったんです。
ショックでした。
今でも妙な頭痛があると気になります。
ま、たいてい二日酔いで頭が痛いんですが:゙;`゙;`;:゙;`;:゙`;:゙;`ヽ(゚∀゚ゞ)ブッ
お2人とも素敵な亡くなり方でしょう。
funkyさんのもいいわね。
私は陽だまりでうたた寝しているように静かに逝きたい。
膝の上にリアルコンブがいてくれたらもっと良いな♪
なんて、これも鬼が笑う話(。´pq`)クスッ
優しい歳の重ね方って感じですね^^
親父の手術も医大での実験台でした。。。
癌の除去をして喉の皮膚の移植を家族で話して決めた箇所を
ギリギリ本人に実験のような感じで別の箇所にされ、失敗。。。
訴える話になりましたが、親父が「やめておけ」と言ったので訴えはしなかったです。
2位の方、すごい天寿ですね。1位の方も・・・
funkyなら・・・映画観ながらかな?
もちろんリーゼントでビシッと決めた状態でw・・・ってなんて話してるんだ^^
そうなのよね、私、久し振りに「ハチ公物語ハリウッド版」のリチャードギアを見てビックリしたもの。
前回の映画でこの人こんなに歳いってたっけって…
手術失敗…難しい問題ですよね。
私の母は脳腫瘍で私が小2の時に倒れました。
幸い手術が出来るいわゆる良性だったんですが、それでも五分五分と言われたそうです。
学会の場で発表する何ていうの?実験台って訳じゃないんだろうけど、それと引き換えに手術代を負けてもらったようです。
なので、回復した後で執刀した先生の学会で発表の場に、母はステージの上でスポットライトを浴びながら、
右向いてください、左向いてくださいという言葉に応じたそうです。
私の母って娘の目から見ても天真爛漫で無邪気で、なんでそんな重い病気にならなくちゃいけなかったの?
と、神様がいるのなら詰め寄りたいくらいです。
でも、楽観的な母だからこそ、そういう病気になってもらったのかもしれない。
私の父だったら、性格的に耐え切れなかったと思う。
知り合いのおばあさんの亡くなり方のベスト2!!
2位は、家の近くの花が咲き乱れているお花畑で亡くなった。
そして…
1位は、いつもの様に自分の部屋の鏡台の前で、髪を櫛で梳いている状態で亡くなった。
1位の方には、女性としての身だしなみを教えられます。
2位の方には、夢の世界のような美しさを感じられます。
果たして私は一体どう天寿を全うするのだろうか?
ああ、死なないと分からない・、λ チェッ
芸能人などは、テレビで観なくなると、久々観ると老け方が驚きますね^^
喉頭癌・・・ほんと怖いです。
ウチの親父は、手術を失敗して2回開いて、院内感染模していて最悪でした。
初期のRCサクセション、若いよね~^^
初期のRCサクセション♪
http://www.youtube.com/watch?v=F_pGi4VsHGU
更に若くてあどけないわぁ~♪
そういう意味で芸能人や有名人って生きるバロメーターですね。
久し振りにテレビで見た人が老けてたりすると、驚くと同時に自分もそうだしと思ったり、
亡くなったりすると、そんなに歳変わらないのにと嘆いたり…
私の知人も喉頭癌で亡くなっています。
鼻炎持ちの人で、ショッチュウ鼻炎薬を使っていました。
私も鼻炎持ちで鼻炎薬は良く使っていたので、何だか不安になった事を覚えています。
この清志郎、若いねぇ♪
人はいずれ空に行くのよね。
私、後悔のないように毎日精一杯生きたいって思うわ(。´゚ェ゚)。´_ _)ゥン
確かに両親が「○○が亡くなった・・・」って訃報を見て暗い顔していたのが分かる世代になったようです。
清志郎の「喉頭癌」は親父と同じです。
親父も癌と分かって、亡くなるまで2年弱ほどで、かなり治療が大変です。
原因は喉への負担や、口の中の衛生面だとか言われてるようで・・・
↓RCの大好きな曲です。
RCサクセション - スローバラード
http://www.youtube.com/watch?v=F_pGi4VsHGU
あい、寂しいですね。
こうやって見送っていくのですね。
両親がニュースで誰かが亡くなる度にため息ついていたけど、あの気持ちが分かる年齢になったのねぇ。
で、私はRCのテープが見つからなくて半べそかいていたのです。゚(゚´ω`゚)゚。ピー
何処行ったの~!!出ておいで~!!
中学の頃バンドをやり始めた時に色々影響のあったRC。
歳を取ってもいつまでもRockな親父だった清志郎。
日本を代表するロックスターですね。
あの声は聴けなくなるのは寂しいです。。。