こんな技術が1700年前に
- カテゴリ:勉強
- 2011/08/18 13:51:05
今回は玉璽(ぎょくじ)について御説明致します。
これは皇帝から皇位に付くものにしか与えられない
言わばオリンピックの優勝者が金メダル貰うのと同じ位の価値の有る物です
では玉璽はそんな物なのかって終わりって訳では有りません。
実はこの玉璽は今で言うプロテクト解除キーにも匹敵する物でしたのです。
まずこれがどう伝わったか御説明致しましょう。
遥か1700年辺り董卓は本拠地である西涼に近付こうと、幼い皇帝を連れ出し、
洛陽から西の長安への遷都を強行した。
しかも洛陽を去る前に、あろうことか街に火を放っていきました
その翌年、連合軍の先鋒だった孫権の父孫堅は、最初に洛陽に入った。
焦土と化した街……だが、めげずに我が軍は治安維持に当たっていました。
すると配下の兵が、古井戸から不思議な光が立ち上っていると報告が入りました。
さっそくその井戸を調べさせると、宮廷の女官の遺体が有り
その遺体が握りしめていた錦の袋から、ある印が見つかったのです。
印には、篆書(てんしょ)という字体で「受命于天既寿永昌」の八文字が
彫られていいましてしかも、玉(ぎょく)という石でできていました。
普通、朝廷の高官が使用するのは銀印。よほど高位になれば金印が与えられる。
だが、玉でできた印鑑は、皇族にのみにしか許されていないものでした。
配下の中でも学のある程普が、印鑑の字を解読したところ
、「天から命を受け、命長く栄えよ」
そこから、これが史上初めて天下を統一した秦の始皇帝が、宰相の李斯(りし)に命じて作らせた玉璽に違いないと判明出来たのです。
秦の滅亡後も、あとを継いだ漢王朝の皇帝が代々受け継ぎ、「伝国の玉璽」と呼ばれるようになっていたのだといいます。
またこれは他の使い道も有ったのです。
当時密書や手紙は木を巻いた物でしたそれを読むのに玉璽を使うのです
今で言う極秘プロジェクトを記録したディスクを外部に知られたく無い為にパスワードや
プロテクトかけるもっと簡単に言えば鍵ですね
当時の手紙とかはこの玉璽を使って誰かに読まれてないかを確かめる。
特にスパイが居る疑いが居る裏切り者が居るそれを防ぐ為の信用出来る者にしか
与えられてない暗証番号パスワード合言葉と考えてください。
そして1700年前にもその技術がもう中国では存在していた
共通点も幾つか有ります
認識番号とかありませんが一部の者にしか配られてない
解除しても印にはそれぞれ違う文字が彫って有ったからその字を読めばどこから漏れたか直ぐ判る。
そんな役割があったんですね
後にこれは今の判子にも当てはまります
そしてこれは多少日本でも関係ありまして
卑弥呼の時代魏の使いが金印を卑弥呼に送ったことが伝えられています。
これも玉璽と推測されます
この時代から中国日本との関係が有ったと証明されている一つです。
当時大和時代は書物で残す事は少ないですから
これは日本の歴史を残す貴重な物でも有ったんですね。
どちらも神聖なる物ですからそう滅多にお目に掛かれない物ですね
只実際の今の玉璽と国璽はかなり簡略化されてるかも知れませんね何故かと言いますと
昔ほど金が発掘されないんですね中国も金山で有名だった所も今では金が取れなくなって閉鎖されてます。
又玉璽、あるいは金印は当時日本と魏要は中国との友好の証として魏の使者から卑弥呼に送られたことが有名です。
その通りです玉璽は正に印鑑の先祖と言っていいでしょうこれが今の判子になって行く訳です
只金で出来てた為非常に貴重でこれが一般に渡ったのは何十世紀後の話になります。
後手紙に木を使ったのは当時中国でも紙は貴重品でしたのですそれに民では判子使う必要性がまだ無かったですね恐らく日本では鎌倉か室町になってから一般化されたのでしょう。
現在は、国璽と天皇玉璽とふたつありますね。
通常の国会の文書などは侍従が国璽を押しています。
紫綬褒章などの勲章に関するものは天皇陛下自らが天皇玉璽を押されています。
昭和天皇が玉璽を押されている動画を見たことがありますが、静謐な空気が流れていました。
実印もこの流れなんでしょうか?もっと考えて作ればよかったわ。