少しトラウマになった事件
- カテゴリ:10代
- 2011/09/06 13:28:00
1987年だと思いますアメリカが開発したスペースシャトル?
チャレンジャー号が打ち上げ後ほんの数分後に
丸でミサイルで追突されたかのように空中で大爆発起こしました
正直丸で何が起こったのか当時その場に居た人は理解出来にくかったと思います。
経緯はこうです
事故の概略 [編集]
機体全体の分解は、右側固体燃料補助ロケット(Solid Rocket Booster, SRB)の密閉用Oリングが発進時に破損したことから始まった。Oリングの破損によってそれが密閉していたSRB接続部から漏洩が生じ、固体ロケットエンジンが発生する高温・高圧の燃焼ガスが噴き出して隣接するSRB接続部材と外部燃料タンク(External Tank, ET)に悪影響を与えた。この結果、右側SRBの尾部接続部分が分離すると共に外部燃料タンクの構造破壊が生じた。空気力学的な負荷により軌道船は一瞬の内に破壊された。
乗員区画やその他多数の機体の破片は、長期にわたる捜索・回収作業によって海底から回収された。乗員が正確にいつ死亡したのかは不明だが、何人かは最初の機体分解直後にも生存していたことが判っている。しかしながらシャトルには脱出装置が装備されておらず、乗員区画が海面に激突した際の衝撃から生き延びた飛行士はいなかった。
この事故によりシャトル計画は32ヶ月間に渡って中断し、また事故の原因究明のため、ロナルド・レーガン大統領によって特別委員会、通称ロジャース委員会が任命された。同委員会は、事故の根本原因はNASAの組織文化や意志決定過程にあったと結論づけた。NASAの幹部はすでに1977年の段階で、契約先企業であるモートン=サイオコール社が設計したSRBのOリングに致命的な欠陥があることを知っていたが、適切に対処できていなかった。また彼らは、当日朝の異常な低温が射ち上げに及ぼす危険に関する技術者たちからの警告を無視し、またこれらの技術的な懸念を上層部に満足に報告することもできなかった。ロジャース委員会はNASAに対し、シャトルが飛行を再開するまでに実行すべき9項目からなる改善案を提示した。
乗員の中には宇宙授業計画(en:Teacher in Space Project)による最初の教師としてクリスタ・マコーリフが含まれていたため、大勢の人が生中継で射ち上げを見ていた。メディアによる事故報道は大々的なものとなり、ある研究では調査対象となったアメリカ人のうちの85%が事故発生から一時間以内にこのニュースを知っていたという。チャレンジャー号の惨事は安全工学や職場倫理の事例研究として多くの場で取り上げられている
更に打ち上げ時は降水確率50%だったこと更に気温も低く正直
発射するには余り良い条件と言い難い物でしたしかし当時の大統領が
強行に発射せよって言ったらしいですね。
何故かと申しますとロケットやスペースシャトル打ち上げには多額の費用が掛かる
事です例えば1日延期すると
およそ約数億か数十億の損害が掛かるわけです
こんな事も有りましたまだ私が10歳の頃です。
この年はハレー彗星が来る年でした私は塾の帰り8時頃
ふと見たらハレー彗星みたいな物発見!
「あー!!!ハレー彗星!!!」って思わず叫んで急いで帰宅
翌日それが新聞で掲載されました正体は
衛星が墜落したって記事でした。
よく考えてみたらハレー彗星が来るのはまだ数ヶ月後との事・・・
でも余りにも似てるから友人もそう見えたと言ってました
しかしこのチャレンジャー号の様なことが再び起きたら
今ですと
北朝鮮が遂にミサイル討った攻撃したって記事になるかも・・・
考えて欲しいですね。
私も当時テレビで見ましたが一体何が有ったんだ?まさかこんな事が・・・って思いましたね。
呆然としました。
宇宙開発は元々軍事目的ですから、そこらへんが宇宙にロマンを感じる者としては悩ましいです。
ミサイルより原発関連施設をちょちょいと事故らせるほうが簡単だと世界に知らしめた様な気がします…。