Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


永遠の今 or 未来に向けた倫理と努力


未来という言葉は、
ちょっと遠すぎるような気がする。

今の人々はそれをSFのようにとらえている。
だから、自分たちの未来について
みんな真剣に考えようとはしない。

考えているのは、
ライフプランとか将来設計とか言った
足下の生活を延長しただけの、永遠の今。

今の生活が、今の幸せが変わらないように…

これは「保守」ですらない。
保守は守るべきもののために、
妥協と変化(微修正)を繰り返す。

妥協し変化してこそ、
大切なものの継続も可能と心得ているからだ。

これは「怠惰」だと思う。
「今の安楽さ」を失いたくないだけの「怠惰」

そこに欠落しているのは、
よりよき未来を志す「倫理」と変化を恐れぬ「努力」

保守の保守たる由縁は、
この明日に向けての「倫理」と「努力」にあると思う。

そして、革新の革新たる由縁もまた、
明日に向けての「倫理」と「努力」にあったのではないか?

私たちは、そろそろ
保守VS革新という旧来の対立軸の他に
もう一つ別の軸を考えなくてはいけないように思う。

今、存在しているのは、
怠惰な保守と怠惰な革新、
そして、それらをバッシングすることで
無党派層の支持を得ている「新党」。

だが、そこに共通しているのは、
政治家たちに何とかしてもらおうという「怠惰」。

あるいは今、存在しているのは、
我が社、我が事業の生き残りのためには、
「倫理」などかなぐり捨てる「サバイバル競争」。
積み重ねてゆく「努力」とは無縁の果てしもない「徒労」。

だが、そこに共通しているのは、
会社や仕事にすがりついて生きる「怠惰」。
「ひたすら走り続けているから、自分は努力している」
と勘違いしている思考の「怠惰」。

なんのために…、なんのために…。
足下を見るな! もっと先を眺めよ!

「未来」を考え、「今」に根ざし、
努力を地道に積み重ねることで、
今を未来に結びつけようとする「倫理」と「努力」は、
誰かに求めるのではなく、
まずもって私自身の「倫理」として身につけねばならないし、
日々「努力」せねばならない。

******************************

…ということを、
今日の講義を聞いて考えました。




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