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三魅せつな33変人日記


寛仁様逝く


 昭和天皇の末弟三笠宮さま(96)の長男で、「ひげの殿下」の愛称で親しまれた三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが6日午後3時35分、多臓器不全のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)で亡くなられた。66歳だった。葬儀は文京区の豊島岡墓地で営まれる予定で、宮内庁は日取りや形式について検討を始めた。天皇陛下のいとこに当たり、皇位継承順位は6位だった。
 ご逝去を受け宮内庁で行われた会見によると、寛仁さまは、母親の三笠宮妃百合子さま(89)と姉の近衛※(※=寧の皿丁が用)子(やすこ)さん(68)、長女の彬子(あきこ)さま(30)、次女の瑶子さま(28)にみとられた。遺言書があることも明らかにされた。ご遺体は同日夕、東京・元赤坂の寛仁親王邸に戻った。
 寛仁さまは昨年12月、顎の右下部にがんが見つかり、同病院に入院。今年1月10日、切除手術を受けた。その後、食べ物が通りにくくなる通過障害が生じ、3月2日に喉頭の軟骨を切除した。今月1日、口や鼻から出血。宮内庁は5日深夜、腎臓や肺、肝臓の機能、意識状態が低下し、輸血や投薬などの治療を受けていると発表した。1991年の食道がん手術以降、がん関連の手術は16回に上っていた。
 公務では、福祉やスポーツ、青少年育成、国際親善に活躍し、特にスキー指導などを通した身体障害者の福祉に力を注いだ。皇族としては型破りで、ラジオのディスクジョッキーや雑誌などで皇族論をはじめユニークな考えを披露。82年には「障害者問題などに専念したい」として、突然「皇籍離脱」を宣言したこともあった。2008年に喉頭をふさぐ手術の結果、自力で声を出せなくなり、人工喉頭を使って公務を行っていた。07年にはアルコール依存症であることを公表した。


たったの66歳ですか・・・


良い人程早く逝く・・・





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