神風か台風か
- カテゴリ:勉強
- 2013/03/02 13:09:53
昔北条時宗の時代元の国今の中国が北条時宗に貢物遅れと使者を送り
時致は激怒後1274年文永11年約4万の元の大軍が船によって
福岡に押し寄せて来ます。
非常に日本は不利でしたしかし突如台風が押し寄せて大軍は大混乱
やむなく元軍はひきかえしました。
所が又元の王が再び時宗に使者送ります今度は使者切り捨てたのです。
そして1281年(弘安4年)今度は十万の兵を率いれて押し寄せて来ます。
しかしここでも台風が来て元軍は総崩れで引き返した訳です。
当時の人々は神風と言いました後調べました結果
文永十一年、弘安4年のこの時台風が偶然接近してて今の様に天気予報が
有りませんから元軍はそれを調査しないで来たからこうなったって言ってます。
しかし困ったのは幕府です領土もお金も得ていない為今度の戦は全く無利益なんです。
戦った無性に御褒美あげられないんです苦肉の策として
借金は無しって事にしたのですが全く納得出来ず幕府は不満だらけとなりました。
また時宗の時代もう一つ不思議な事有りました日蓮和尚の事です。
日蓮和尚は幕府に立正安国論を進言するも時宗は怒ってまず伊豆(静岡県)に
流されてしまいます所がさっきも言いましたフビライ・ハーン率いる元軍が
攻めてきてその事で日蓮和尚は立正安国論を聞き入れ無かったからと進言
致しますが今度は時宗は怒って日蓮を打ち首にします所が
打ち首直前に落雷が刀に直撃し恐れた幕府は日蓮和尚は佐渡へ流されます。
後に許された日蓮和尚は幕府に失望し身延山(山梨県)に渡り久遠寺を建て
本を書き仏教の教えを広め天寿をまっとう致しました。
時宗は幕府を守ろうと晩年はとても苦労なさってその苦労で
僅か34歳でこの世を去ります。
さて最初の題材ですが神風か台風か私は神風と信じたいですね。
偶然にしては出来過ぎてるますから
最近の私もそうですから笑
えええ∑(゚Д゚) 漫画かよw