Nicotto Town



被災地訪問、ありがとうございます。

政治: 被災地訪問、ありがとうございます。 そして被災地の現実・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki_o/53721190.html #政治


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ゴールデンウィークに被災地訪問していただけているようで、ありがとうございます。
 被災地では、震災前の地元のお客様が被災しているので、日常的な売り上げはなかなか戻ることはありません。それだけに、被災地に訪問してもらえるというのはうれしい限りですし、なによりも、被災地の現状を知っていただきたいのです。
 津波被害の少ないところは大分よくなりましたが、津波被害の凄まじいところは、復興どころか、復旧もままなりません。
 住宅地であったはずの場所は未だ塩水がつかっているし、更地になった被災地が、どんな土地利用にするか、被災した小学校は仮設校舎のままで、教育環境は不十分なまま教育が進んでいます。

 本当、東日本大震災の被災地は、口では説明できません。
 説明してもつたわらないのです。

 とりあえず、コツコツとネットに震災当時の体験や、他の人の体験談をサイトにアップしております。
http://homepage2.nifty.com/SON/hp1_6_i.htm

 これで、伝わるかどうかわかりません。
 私の表現力がないだけかもしれませんが、これは、同じ市内の人でも、震災当時の現場にいる場所で意識が変わってくるのです。
 実際、東松島市であっても、津波が実際こなかった避難所となった小学校にいた教師と津波が来て何人もの犠牲者を出した小学校の教師では、まったく意見と意識が違います。
 この温度差は歯がゆいくらい伝わりません。

 なんにしろ、故郷が津波に破壊され、未だ復旧すらままならない現状は何とも閉口です。
  
 そんなわけで、安陪内閣にメッセージをおくりましたので、引用します。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=349202188512880&set=a.314382198661546.56598.314327765333656&type=1&comment_id=732407&offset=50&total_comments=700
★★★ここから★★★

 被災地訪問、ありがとうございます。
 私は宮城で被災しましたが、岩手の津波は凄まじいものであることを聞き及びその被害は、宮城でも女川町や南三陸町や気仙沼市に訪れひどいものであること思います。
 さて、私は宮城県東松島市在住ですが、正直なところ、震災後、自治体の行政を含めての防災体制にくわえ、その後の対処に不信感を抱いていました。東松島 市の防災計画は津波6mを想定したうえでの避難所の設定でしたが、その避難所となっていた小学校の校舎の1階部分にくわえ、階段の踊り場まできて、昇降口 には流された車が衝突していました。
 行政は想定外の一言で終わらせますが、多くの命が失われました。
 本当に想定外かといわれれば、約1000年前の記録には同じような大津波があったので、想定外でしたということばには疑問がのこります。
 震災当時が3月の雪であったこともあり、非常に寒く、震災の当日や翌日に津波からは免れたものの低体温症で亡くなった方も少なくありませんでした。
 さらに、津波でずぶぬれになったがために、どんどん体温を奪っていきました。
 毛布は比較的手配されたことになっていますが、避難している人の人数が最初に申告した時よりも増えた場合、自治体は追加で支給しません。
 正直、信じられない現実でしたが、避難所に避難した人が入りきらないので、避難所ではない近所のお寺が開放されて、近所の住民は避難した人のためにと、お米を持ち寄り、発電機などを持ち寄ることで多くの方々が避難されまました。
 これが最初は100~200名ぐらいだったのが、後日には2倍以上の400~500名に膨れ上がったともいわれています。
 そこで、避難した人が増えたので、追加の毛布が欲しいと要請したところ、市役所はそれを断りました。理由は指定された避難所ではないことが主な理由だったようです。
 正直、お寺やその地区の住民の善意で行っているのに市の行政はそれを踏みにじるかのような事ばかりしていました。今でも内心信じられないので、行政に強い不信感を持っています。

 それでいて、災害も落ち着いて後日、防寒具が不要になってから、毛布の支援物資が山積みされ余っていました。

 さらに、1、2週間後に電気が通電した時の東松島市市長の言葉が被災者にむけた放送で食料をくださいといわれれば、絶望の一言です。そのくせ、東松島市は報道などでは、復興が順調に進んでいると見栄をはるような広報がなされていることにいつも首をかしげています。

 もちろん、私の被災経験は、軽い方です。
 もっとすさまじい経験をされた方、亡くなった方、未だ行方不明の方々がいらっしゃいます。

 震災以来、3人の総理大臣は被災地復興を唱えています。
 それは心強く感じますし、特に安陪総理になってから、復興の兆しがやっと見えてきたようにもかんじていますが、1年半、殆ど何もしなかったに等しい状況です。
 さらに、医療費負担免除にいたっては、市町や県が負担できないから、被災者に負担しろと言う被災者切り捨て(市と県にこれを伝えたら否定されませんでし た)に象徴されるように、自治体は、被災者支援は、企業や民間のボランティアに丸投げで、自治体は復興業務よりも日常業務にいそしんでいます。

 特に、宮城県東松島市野蒜では、震災から5,6年でやっと災害住宅が建設が始まると言う計画であり、現段階でも決して順調ではない上に、すでに予算の3 分の2程度使われていると聞いています。予算の見積もりが甘かったと言われればそうですが、これまでいっさい手つかずの山を削るのですから分からないこと ばかりなのでしかたないのかもしれません。
 そんななか、仮設住宅の住める期間は自治体の判断で最大4年だと聞いています。
 災害住宅建設が始まるのが5,6年となれば、被災者はどこに住めばいいのでしょうか?

 このように被災自治体では財政が厳しいことを理由にどんどん被災者支援を打ち切っています。
 まるで、被災者の生活よりも、財政を優先しているような信じられない行政です。
 本来、行政とは弱者や困った人を支援することが目的のはずなのに、被災地自治体は自らのアイデンティティーを否定する様な行政をしている自治体では、復 興には程遠い状況で、永遠に被災地に春は訪れそうもありませんが、安陪総理は被災地の声を聞いていただけているし、実際、多くのことが改善されていると思 います。
 私自身、無力ではありすが、被災地で微力を尽くしてあきらめずに頑張りますので、安陪総理、どうか、被災地を切り捨てないでください。

★★★ここまで★★★
 ネガティブなメッセージですが、現実を伝えればネガティブになるというのが現状と言うことです。
 だから、報道も、ポジティブなニュースにニュースバリューがあり、報道されるんでしょうね。




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