Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


雨のアウシュヴィッツ


クラクフは朝から
日本の梅雨のような雨でした。

朝、クラクフから
アウシュヴィッツ博物館行きのバスに乗ります。
クラクフから博物館までの往復チケットが28ズオティ。
(1ズオティ=約30円)
1時間50分もバスに乗ります。
晴れていれば、
北海道のなだらかな丘陵地を走っているかのような風景なのでしょうが、
今日は雨雲がどこでも空を覆っています。

途中の街は雨が降っていなかったのですが、
アウシュヴィッツ強制収容所があったオフィシエンチムに近づくと
再び雨。

ここで博物館公認の日本人ガイドの方や、
他の参加者の人たちと合流。

ガイド料兼入場料として40ズオティ。

雨の中を10人程度のグループで歩き始めました。

「天気が良かったら、よかったのに」
と言いたいのは、間違ってはいないですが、
でも、なにか言葉が不足しています。

 晴れていても、ここは、
 決して「よい」ところではないからです。

雨でできた水たまりを除けながら歩く道は、
しかし、この収容所が実際に機能していた当時、
傘もささず、満足な食事も与えられずに
雨の中を労働現場へ行進させられていた収容者がいたわけです。

冬は-20度になると聞きました。

かつての収容所の建物をそのまま博物館として使用したり、
あるいは復元して使用しているわけですが、
その一つ一つを報告する気は、
今の私にはありません。

ここに来るまでに、
ベルリンで2冊の本を読んできました。
一つは今日ガイドをしていただいた方が書いた
『アウシュビッツ博物館案内』。
もう一冊はフランクルの『夜と霧』です。

アウシュヴィッツの報告や紹介を読むと、
その圧倒的な規模と効率を追求する徹底度と
関わった人たちが自らを正当化する論理によって、
読んでいる私の判断基準も歪んできます。

 例えば、この強制収容所には、
 いい加減な審理しか行われなかったのですが、
 裁判所があり、監獄があります。
 (監獄の中の監獄というのも奇妙な物です)。

 その監獄も、餓死させたり、
 小さな部屋に何人も詰め込んで窒息死させたり、
 という残虐な監獄なのです。

 ですが、強制収容所に到着して、
 すぐに75%のユダヤ人たちは、
 そのままガス室に送られたわけですから、
 それなら何も残虐な監獄なんかに入れて、
 不必要に苦しめたりせずに、
 あっさりガス室に送ってしまえばいいのに…


こう考えている時点で、
私はすでに効率という論理に毒されていて
何が正しいことかを見失っているのです。
(ちなみにこの監獄は、政治犯や思想犯を処罰するための監獄です)。

 「あっさりガス室に送ってしまう」のが、なぜいいのでしょう。

   効率的だから?
    
 でも、なんだかそれが理に適っていることのように思えてしまう。
 この私の錯覚はどこから生じているのでしょう。

 人間は弱く、揺らぎ、振れ幅の大きい存在であり、
 置かれた環境や状況が変わると、
 あっさりとこんな風に考えたりするのです。  

 アウシュヴィッツの雨は、
 私のジーンズや靴だけでなく、
 私の心の中までも、ぐずぐずに崩壊させていくのです。


ガイドの方も言ってましたが、
この状況を生み出したのは、
直接的にはナチズムを頂点とした官僚制組織かもしれませんが、
間接的にはそれを容認した…

 少なくても収容所にいる彼らは
 私たちではないと考えて、
 無関心でいた多くの人々です。

そう考えれば、
東アジアで日本の軍隊が残虐行為を行うことができたのも、
アメリカが広島・長崎に原爆を落とすことができたのも、
同じ論理の上にあります。

 彼らは私たちではない… 知ったことか

原発が集中して立地する場所の人たちに対しても、
基地の近くの人たちに対しても、
様々な生活問題を抱え、路上で暮らしたり、
困窮のままに生きている人たちに対しても、基本は同じです。

 彼らは私ではないから、特に関心は無いし、
 困っているようなら、まあ、何かしらの施しを与えておけばいい。
 「金目の問題」であり、金で解決できると考えている。

 
 金銭問題としては考えるけれども、
 同じ人間としては考えないから、
  「これまで我々は十分に見返りや保障をしてきた。
   それなのに何を今更。
   今頃になって過去を蒸し返そうとするのは、
   我々からごね得を得ようと考えているのではないか…」
 という発想も可能になる。
 

 ですが、その発想は、
 どこまでも相手の人を金銭問題の対象としてしか捉えていない。

金が問題ではないのです。

 私をあなたと同じ人として扱え。
 差別するな。
 もし私を自分の友として扱うなら、
 私を札束で懐柔するような恥知らずなことはできないだろうに。



このような他者への無関心(それはまた自己への無関心なのですが)と
それによって引き起こされる災厄は、
これからも大なり小なり繰り返されていくでしょう。

 人間は揺らぎ、常に振れている、不安定な存在なのです。

だとすれば、アウシュヴィッツ博物館を訪れることも、
そこを案内するガイドの方も、
ある意味で砂上の楼閣を築き上げているのかもしれません。

ですが、そこを訪れ、そこを紹介することに
わずかな希望があるとすれば、
このような出来事がどうして起きたのかについて
多少なりとも知っておくと、
弱い人間たちであっても、
その振れ幅が少しは小さくなるだろう。


 結局、雨は一日降り止むことがなく、
 時には強く降りしきり、
 広大な敷地を傘を差しながら歩かなければならない見学者たちは、
 ジーンズやスニーカーをずぶずぶに濡らして、
 クラクフに帰ってきたのでした。

 私たちはまだいい。
 宿に帰れば着替えがあるし、
 熱いシャワーも、
 レストランでの暖かい食事も、
 こうして書き物をしながら、ビールも飲める。  ☆\(ーーメ)


こうして冷え切った身体を温めている内に、
アウシュヴィッツ強制収容所は、
次第に私の中から遠くなりつつあります。

そんな私はこれからいったいどこへ行き、
誰と何の話をするのでしょう。




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