Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


どうしてこんな不愉快な感情をオーダーしてきたのか


「私ほど善人な人はいないでしょ?」

いやいや・・・あなたほどの悪人をボクは知りませんよw

自己愛性人格障害に該当するかもしれないなぁ

と、思いながら。

思い出して行くと・・・自分自身が不愉快に。

不愉快な感情もオーダー通り。

しかし。

どうしてこれほど怒りと不愉快さを感じるのか。

例えば道案内。

「ご飯食べに行こう。あっ、次、右に曲がって」「そこ、左。」

「ねーところでどこに向かっているの???」

え?

「今、道案内してたよね?」

「ええ、うん。とりあえず町の中心に行けばいいかなって」

「え?」

「あれ、聞こえなかった?」

「いや、もういいです」

中心どころか・・・ここどこ?

とまあ、こんな感じで振り回された。

うーん。

で。

歪んだ教育があったから現在があるわけだよね。

だとしたら・・・わからんでもないんじゃないかな。

同じ環境に生まれたら、責める事はできないよね。

でも・・・それでも・・・

ボクは「瞑想」という手段を捨てたくないかな。

例えそんな人間に生まれ変わっても・・・。

でも・・・瞑想という手段を禁じられたら。

どうしようもないよね。

ボクの友人は〇〇さえすれば自殺する事は絶対に無い。

そう豪語していた。

それと一緒なのかな。

この自己愛性人格障害の人も。

例えどんな苦しい環境でも、私は愛に目覚めて生きていける。

そういう人が実際に苦しい教育を設定して生まれて来ていたとしたら。

脳の海馬が委縮し、若年性認知症の一歩手前、かつ、爬虫類脳の発達。

犯罪者にそういう人って多いんだよね。

とくに認知症の高齢者さんで・・・他人の家の物を平気で盗む人いたからね。

たぶん、自己愛性人格障害の人も同じ症状にいずれなってもおかしくないよね。

狂気、理性の欠如。

それは海馬の委縮から始まる。

海馬の委縮は「逆らう事のできなかった」環境が生み出す。

または望めばなんでも与えられて・・・「生きている意味も価値も見失った」人にもそういう状態を体験する。

人生に興味を無くす。これほど恐ろしい事は無い。

自己愛性人格障害の人は弱い自分をどうしても認める事ができない。

その気持ちはとてもよくわかる。

積み上げてきた「薄ぺっらい善人の自分」が壊れて行くからね。

それが壊れると精神崩壊する人もいる。

映画のワンシーンではよく表現されているよね。

それはその人が他人によって壊されたから。

もしもどこかで・・・

彼・彼女が「私は本当は父と母に何をしてもらいたかったのだろう」とか。

私は本当は何がしたかったのだろうって質問できればいいんだけど。

そうやって幼い心を探せれば・・・壊れる前に助かる。

実際助かっている人もいる。

でも。壊れたままの人もいる。

ただ世界は変わり続けている。

ボクはもうそういう人に会いたくない。

同じ環境で同じ脳なら・・・ボクも彼・彼女のようになっていただろう。

会わないで済む方法は1つ。

魂の階段を1つ上に上がる事。

ボクは自己愛性人格障害の人に怒りを感じている。

リルル・ガランドは怒りを感じている。

本体はその感情を楽しんでいる。

彼・彼女は何かを伝えている。

肉体を本体だと信じて生きてしまっては・・・肉体の奴隷になると。

そして・・・魂の世界に目覚める事を封印している人間もいるという事・・・

ただその世界への扉は本人が持っている。

本人が愛に目覚めるならその扉は開く。

もう1つの間違いを犯してしまい、愛に目覚める道を自ら閉ざして生まれてきたのかもしれない。

それが自己愛性人格障害なのかもしれないな。

愛の道に・・・自分の意志で目覚める事ができる・・・

自分の決断1つで。

そう、自己啓発本に書いてあるのを読んだ事はありませんか?

自分の決断1つで人生は変わる。

それはある意味正しいのかもしれないが。

自己愛性人格障害の人の様に脳機能障害を患っている場合は無理である。

思考をコントロールしているのは脳では無いという事実に気づかないまま、そう豪語して脳機能障害を経験しているのかもしれない。

そう思うと前世は決断力があって、案外なんでもできた奴だったのかもしれないなぁ。と、考える。

そして自分にそういう人間がやってくるのは。

前世で自己愛性人格障害の人が来ても「自分なら怒らずに対応できる」と。

ボクは自信満々に語っていたから、「で。どうでした?」って本体に聞かれているのかもしれない。

「いやーーやっぱすげー不愉快だし、怒ってしまいましたわ」って事だww

なんだか笑えてきた。

または「自己愛性人格障害の人がやって来ても迷惑にならない」と、対策を練っていたか。そう豪語していたのかもしれない。

「で、実際やって来たらどうでした?」

「いやー迷惑ですわ。すげー迷惑。もう会いたくないですわw」

あはは。

ホントにそうかもしれない。

それはどっちでもいいが。

本体はやんちゃな神様なのだ。

とんでもない事まで体験しに来ているのだ。

喘息の痛みを体験しに来たんだね。って認めると喘息が治ったように。

それを認めればいい。

今回の場合だと。

自己愛性人格障害の人に出会うと「やっぱり不愉快になってしまう自分でした。その答えが知りたくて生まれてきました。」

こう祈ってみるといい。

ボクはそれで心が落ち着いて行くのを感じる。

自己愛性人格障害の人に出会うと「とても迷惑だと思うことしかできない自分でした。その答えが知りたくて生まれてきました。おかげで知ることができました。」

そう報告すればいい。



ただこれで効果があるのはボクだけなのかもしれない。

ボクの信仰体験なのかもしれない。

それでも人にもお知らせしたいので書いてみました。

あい




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