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四択の答え&今日は何の日@7/5



今日は「江戸切子の日」です。


「江戸切子の日(日本)」(ウィキより)
江戸切子の組合・東京カットグラス工業協同組合が制定。江戸切子の文様の一つ「魚子(ななこ)」から「なな(7)こ(5)」の語呂合せ。

「江戸切子(えどきりこ)」
江戸末期に江戸(現在の東京)で始まったカットグラス工法のガラス工芸・ガラス細工である。伝統工芸に認定されているガラス工芸品・地域ブランドの一つ。

江戸末期に生産された江戸切子は透明な鉛ガラス(透きガラス)に鑢や金棒と金剛砂によって切子細工をし、木の棒等を用いて磨き行った手作業による手摺り工程による細工によって制作されたものと考えられている。
当時の薩摩切子が厚い色ガラスを重ねた色被せ(いろきせ)ガラスも用いていたこと、ホイールを用いた深いカットと大胆な形であることとは大きな違いがある。
明治期以後は薩摩切子の消滅による職人と技法の移転や海外からの技術導入により、江戸においても色被せガラスの技法・素材も用いられるようになる。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴。加工方法も、文様を受け継ぎつつ手摺りからホイールを用いたものへ移行していく。
江戸切子の文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など着物にも見られる身近な和の文様を繊細に切子をしているのも特徴である。
現在は、当初からの素材であるクリスタルガラス等の透きガラスよりも色被せガラスを素材に用いたものが切子らしいイメージとして捉えられており、多く生産されている。

1834年(天保5年)に江戸大伝馬町のビードロ屋、加賀屋久兵衛(通称:加賀久)が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻で模様を施したのが始まりと言われる。加賀久は日本橋通油町の硝子・眼鏡問屋・加賀屋(通称:加賀吉)から暖簾分けし、切子も始めたとされる。
1873年(明治6年)、明治政府の殖産興業政策の一環として品川興業社硝子製造所が開設され日本での近代的な硝子生産の試みが始まった。
1881年(明治14年)には当時最先端の技術を持ったイギリスから御雇い外国人としてカットグラス技師・エマヌエル・ホープトマンを招聘し技術導入が行われ数名の日本人が師事、近代的な技法が確立され以後発展した。
このように江戸切子のルーツは長崎を窓口として広まった蘭学による江戸の硝子技術・職人、また薩摩切子廃絶に伴う技術の移転そしてイギリス・アイルランドのカットグラス技術等が融合していったのと考えられる。

手仕事ということもあり、加賀屋やホープトマン等からの脈々と繋がる系譜があり職人・加工場・作家の師弟関係をたどることが出来る。
職人とその加工場・工房は東京都江東区・墨田区を中心として江戸川区・葛飾区や大田区、埼玉県の一部など東京東部の周辺で江戸切子だけでなく各種カットグラス加工やその下請け生産を行なっている。
業態には、グラスや器を中心に切子の各種紋様の装飾などを施す「切子」と多面体グラスやガラスの時計枠・灰皿・トロフィー・オブジェあるいはレンズ等の平面研磨をする「平物」(ひらもの)の大きく2つがある。

現在、江戸切子職人・加工所間の同業組合として伝統工芸や地域団体商標の制度で江戸切子の認定を受けている東京カットグラス工業協同組合(江東区亀戸)があり、ショールームの開設・展示販売・催事・広報・体験等の事業を行なっている。2008年(平成20年)、江戸切子が地場産業である地元墨田区出身のTHE ALFEEの坂崎幸之助氏を親善大使に、また記念日として伝統的な模様の魚子(ななこ)にちなむ語呂合わせなどから7月5日を「江戸切子の日」と制定した。





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