Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


誰のために生きる?


自分のために生きていても

人は他人に奉仕をして生きていることがある。

それはそれでいい。

どんな人間も1人では生きていないのだから。

それでも人間は1人で生きていると自惚れやすい。

ボクの因果は結局のところ

今も昔も

そう何も

変わっていない。

いつ殺されてもおかしくないし

隕石が落ちていきなり死んでも文句は言えない。

それぐらい業(ごう)が深い。

死が安らぎに見える。

それでも生かされていると

最近は起きるたびに感じる。

自分は生かされている。

因縁果(いんえんか)

仏教の言葉だが

因に縁が重なり、果実は実る。

実は人間は悪因しか無いのだが。

それが「最後の神」の縁をいただき。

生きるという果実をいただく。

運命は決まっている。

それは努力しなくてもいいという事でもなく

人生を諦めるという事でも無い。

運ばれる命。

あなたが実は精一杯しあわせになる、強い縁が生まれる時から死ぬ時まで

途切れる事無く流れている。

それが親鸞聖人が700年以上も前に教えられたこと。

そう。

その強弱はあるかもしれない。

赤子で死んだ自分。

行き倒れた先で食べ物と職業を与えられた自分。

戦場で殺し、殺された人間と友人として人生を生きている自分。

そして今。

見えない強い縁によって、内なる神に巡り合えた自分。

その強い縁は誰にも流れている。

必ずその強い縁に巡り合える。

運命とは究極の意味で

最後の神の視点から見て

強い縁を与えられ続けている事、それに救いとられる事

それは必定。

心配しなくていい。

生きているうちに救いとられる者は浄化の道を歩みながら。

死んでから救いとられる者もまた然り。

そう。

強い縁をいただき続けている事。

その1点だけがすでに決まっている。

それは目に見えない。

そして忘れてボクたち人間は生まれてくる。

愛。無償の愛という尊いものを。

あなたが精一杯生きようとしている時

あなたが精一杯しあわせを感じようとしている時。

最後の神さま

内なる神の導きあり。

それは途切れる事なく降り注いでいます。

生かしていただいてありがとうございます。

あい




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