Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


デュイスブルグからアムステルダムへ。


 デュイスブルグという街は、怖かった。駅構内には、半グレのような若者がたむろし、警察が彼らに常に眼を光らせているような、そんな雰囲気の中を、スーツケースを押して駅前のホテルに。ところが、このホテルがまた、すごかった。ここは乗り換えのために泊まった街なので、駅前の安いホテルにしたのですが、ホテルの入口は、サッカー観戦の常連客がひしめいているバー。どこにフロントがあるのかと思ったら、バーのキャッシャーがそのままフロント。奥の扉を抜けて、階段を登っていったところが、部屋でした。安かったから、仕方ないけど、ビックリした。駅構内で買った、フライ&チップスとサンドイッチの夕食。長旅で疲れていたので、さっさと寝ます。

 さて、翌日。シャワーを浴びて、昨日のバーが、そのまま朝の食堂になり、そこで朝食を食べて出発。ちなみに、コペンハーゲンでも、ここデュイスブルグでも思ったのですが、ヨーロッパのトイレは、トイレットペーパーの肌触りが、ごわごわ。昭和の頃、新聞紙を揉んで、それをトイレットペーパーの代わりにするような話がありましたが、そんな感じ。もちろん、ウォシュレットのようなものはありません。流してしまうのだから、ごわごわの再生紙でいいと考えるのか、それとも肌触りに拘るのか…。でも、肌触りに拘る分、日本人はバージンパルプまでも、トイレットペーパーに使ってしまうのだろうなあ。お肌にはやさしいかも知れませんが、環境にはあまりやさしくないのです。

 今日の旅程は短く、デュイスブルグ9時27分発のICE・インターナショナルに乗って、アムステルダムに向かいます。この特急は、フランクフルト・アム・マインを7時20分頃出発して、2時間程度で、ルール地方の各都市を停まり、そこからオランダに向かう特急です。車両も、ドイツ鉄道の中では最新式の型で、かっこいい。出張などに便利な時間帯なので、列車は満員でしたが、予約して窓際の席を確保しておいたので、快適です。ただし今日の天気は、どんよりとした曇り。日が差す気配はありません。

 列車は時速140キロで、昨日と同じような牧草地が広がる風景の中を快調に進みます(この最新式の車両では、時速が掲示板に表示されます)。今回もどこがオランダとドイツの国境なのか、注意して見ていたのですが、それらしいものは発見できず。架線を支える支柱の形がなんか変わったので、オランダ鉄道の管轄に入ったのかなと思った矢先、窓の外に風車が! そして、スマホが震え、オランダの渡航情報が通知されていて、国境を越えたことを改めて確認した次第。ヨーロッパにおいて国境とは、東京二十三区の境界のように、あってなきがごとしの境界なのです。

 オランダに入って、最初の停車駅がアーネム。デュイスブルグから約1時間。ここで結構、お客が降ります。次の停車駅がユトレヒト。オランダは、EUの中では人口密度が高い国で、たしかにアムステルダムに近づくにつれ、ここまで続いていた牧草地の広がる風景は少なくなり、建造物が増えます。でも、アムステルダムに着くまでに、車窓に風車を三つ見つけたり、運河と平行して特急が走ったり、オランダを感じさせる風景に出会えます。そして、大きな都市の中に入り、アムステルダム中央駅に到着。アムステルダム中央駅は、北側がそのまま入り江に面しており、南側にアムステルダムの街が、半分に切ったバウムクーヘンのように広がる街です。バウムクーヘンのしましま模様が、そのまま運河になっていて、つまり運河が同心円状に何重にも取り巻いている街なのです。

 駅前の公共交通機関の事務所のようなところで、トラムやメトロ、近郊電車に何回でも乗り降りできるチケットを購入。三日間・72時間チケットで19ユーロ。次に宿の近くを走るトラムに乗って、一つ目の停留所で降ります。やはり駅に近いゲストハウスを予約したのですが、石畳の道をスーツケースを押して歩くのは面倒なので、トラムの一駅だけですが、買ったばかりのチケットを使って移動します。

 ゲストハウスのチェックインは15:00。ですから、それまでゲストハウスに荷物を預かってもらって、カメラとガイドブックを小さなリュックに詰めて、街歩きに出発。まずはダム広場というアムステルダムの中心地に向かいます。アムステル川をダムで堰き止めて作った街だから、アムステルダム。ウソのようなホントの話。そこから西に向かって、運河を三本渡って、西教会という高い塔のある教会をめざします。西教会のすぐ側に、アンネ・フランクの家があるからです。

 アンネ・フランクの家…、というよりも、アンネの家族ともう一家族が、ナチスの眼を逃れて隠れ住んだ場所が此処です。つまり、アンネ・フランクの日記は、ここで書かれたわけです。隠れ家ですから、当然の事ながら狭い博物館です。ですから、この施設に入るためには、時間指定の券を事前に買っておかなくてはいけません。インターネットで、13時15分のチケットを買っておいたので、時間通りに入場。コートや鞄を預けて、日本語のオーディオガイドがあるので、それを借りて、オーディオガイドに従って進みます。

 この博物館は、とても感慨深いものがありました。アンネ・フランクやマーティン・ルーサー・キング牧師やマザー・テレサといった人物は、偉人という人物像が一人歩きしてしまって、その人の普段の姿をうかがい知ることができません。しかし、ここはアンネ・フランクが実際に隠れて生活した場所ですから、彼女の実像を垣間見ることができます。この隠れ家に入る前、まだ小学校入学前の頃の写真とかがあって、その写真は、友達三人と一緒にぬいぐるみを抱えて収まっているのでした。また、隠れ家に隠れる際に持ち込んだビー玉とかが展示してあって、それらを見ると、アンネもまた、ごく普通の子供に過ぎなかったことが、よくわかるのでした。

 そんな子が人目を避けて生きるという思いをしなければならなかったこと、しかも、そのような自分のことを日記に記録しつづけていたことが、私にとっては悲しいです。彼女は、自分の日記がいつか出版されることを心の支えにしていて、そのために、日記の推敲までしていたのですね。その日記が偶然にも残り、隠れ家の中で生活した二家族の内、唯一人生き残ったアンネ・フランクの父親、オットー・フランクの手に渡り、彼女の願い通り、出版されることになったわけですが…。しかし、彼女の願い通り、出版されたことを、素直に喜べない安寿がいます。隠れ家に住んだり、そこで日記を書いたり、その日記が出版されることを夢見て、推敲したり…。

 でも、そもそも、そんなことなど、起こらなかった方が遥かによかったわけです。アンネ・フランクとして有名になるよりも、どこにでもいる無名の少女で過ごしていた方が、子どもにとっては、遙かに幸せなはずです。子どもは、子どものままでいるのが、一番良い…。子どもに、こんな事をさせるような時代や社会の方が間違っているのです。このような博物館が残っているのは素晴らしいことだけど、本当は、このような博物館など、生まれなかった方が遥かに素晴らしいことなのです。そこを勘違いしてはいけないような気がします。

 続きます。




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