Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


辺野古の米軍基地建設について その1


3月7日から14日までの1週間、沖縄に行ってきました。
今回は取材旅行です。

プレゼンで時々使う沖縄の写真は、
14年前に沖縄を訪れた際、撮ったものですから、
写真を新しくしたかったのです。

沖縄に関する自分の知見も、
そろそろ更新する必要があるなあと感じていたので、
新型コロナウィルスの影響で、
打ち合わせなどが減ったのを機に、
一気に沖縄へと飛んだのです。

そして、辺野古で行われている米軍基地建設、
その基地建設への抗議行動に一日加わって、
工事ゲート前に座り込んできました。


辺野古の基地建設に反対する論点は、たくさんあると思います。

1)まず、軍事力で平和を生み出し、平和を守ることができるのかという
哲学的・宗教的論点があり得ます。

2)仮に、平和を守るために軍事力は必要であるという立場の人であっても、
日米安保条約の下で、日本の安全保障体制を構築すべきかという、
外交上・戦略上の論点に答える必要があるでしょう。
米軍との同盟関係が、日本の平和を、そして世界の平和を、
生み出すことになるのかという論点です。

  その論点は、付随的に、
  米軍の事故や不法行為に対して日本政府が捜査・起訴できない、
  現在の日米地位協定のままで、
  米軍との、より緊密で一体的な(悪く言えば依存的な)同盟関係を
  進めていって良いのかという論点を生み出します。

3)仮に、日米安保条約の下で、
日本の安全保障体制を構築すべきであるという立場の人でも、
そのための軍事基地負担が、
なぜ沖縄に集中しなければならないのかという、
基地負担の公平性や国民としての権利の平等という論点に
答える必要が出てきます。

  普天間基地の危険性を早期に取り除くために、
  相対的に人口が少ない辺野古に基地移転を計画したのだと言っても、
  今度は辺野古の人々に、新たな危険をもたらすことになりますし、
  その解決策は、負担の公平性や権利の平等という問題を解決していません。

  数の多い方が数の少ない方に、負担や危険を押しつけているだけです。

この論点はまた、
民主主義の原理、あるいは住民自治の原理
大きな問題を投げかけていますし、
立憲主義の原理をも踏みにじっているところがあります。

沖縄の県民投票で、
辺野古基地反対が多数をしめたにも関わらず、
基地建設を強行できるのは、なぜか。

安全保障に関する権限は中央政府にあり、
日本国全体の意思は辺野古への基地建設に賛成であったとしても、
多数者の意思が少数者の権利を踏みにじることはできるのか。

たとえ多数者が賛成したとしても、
失われてはならない基本的権利を定めたものが憲法です。
憲法は、権力を持つ政府や多数派の横暴を防ぐためにあるという
立憲主義の考え方に立てば、
およそ憲法の規定に基づかない決定に正当性はありません。


4)仮に、沖縄に基地負担を引き受けてもらうことが最善の策であり、
負担に対する見返りを十分に行うことで、
国民としての公平性や権利の平等は担保しうるという立場の人でも、
その基地建設が、なぜ、サンゴ礁が拡がり、
ジュゴンが生育していた辺野古の海を
埋め立てて行われなければならないのかという、
今度は環境破壊・自然保護の論点が浮上してきます。

  
5)それでも、環境アセスメントを行い、サンゴを移転させるなど、
環境に十分配慮して工事を進めていると反論する人でも、
  (そのような論拠は、赤土投入など、実際の工事状況を見る限り、
   はっきり言って詭弁なのですが)
埋め立て予定地において軟弱地盤が指摘され、
設計を見直さないと、地盤沈下等によって、
基地を建設しても使いものにならない怖れがあるという、
地質学・土木工学上の問題点が待ち受けています。

この問題点のために、
すでに工事は、当初予算の2倍以上、
工期も5年で完成と言っていたのですが、
9年を超えると変更されています。

しかも、防衛省は、軟弱地盤が指摘されても、
設計を見直すつもりはないようです。
だとすれば、地盤改良や追加工事によって、
予算も工期も更に積み上がっていくでしょう。

これはもはや、完成しないものを、
あるいは、完成したとしても使いものにならないものを、
延々と作り続けているようなものではないでしょうか。

文字通りの「砂上の楼閣」、
「絵に描いた餅」が作られつつあると言えます。

そのために、
普天間基地の危険性を早期に除去するために、
その代替基地として辺野古に新たな基地を建設するという論拠は、
論理的に破綻しつつあります。

なぜなら、辺野古の基地建設が難工事になり、
長期化してしまったことで
普天間基地の危険性も、早期どころか、
いつまでも解消されないという事態に陥っているからです。
問題解決の手段であったはずの辺野古基地が、
問題解決を長引かせる原因になっているのです。

  ちなみの私が沖縄滞在中に、
  NHKは、辺野古基地の現状と問題点を伝える番組を放送したのですが、
  それは、沖縄だけを対象にした番組であり、
  本土の人の目には触れないのでした。



辺野古に基地を建設するためには、
以上の論点に対して、
説得力のある論拠を提出する必要があるように思います。

そして、最初の論点や二番目までなら、
それなりに説得力のある論拠があるのですが、
3)あたりになってくると、説得力があやしくなってきます。
3)の背後には、沖縄に対する差別という問題が潜んでいますし、
4)の背後には、自然や環境、人々の暮らしよりも
国防の方が大事と考える価値観の問題が絡んでいます。
5)に至っては、もはや建設計画の合理性それ自体が疑わしい。

これはもう、初めから無理筋の話だったのではないでしょうか。


それでも、この工事を進めようとするならば、
そのような人々は、
「ええ~い、ゴチャゴチャ、面倒なことを言うな。
辺野古に作ると決めたんだから、粛々と工事を進めればいいのだ!」
と思考を停止させて、工事に臨むより他にないでしょう。

つまり、この工事は、もう理屈じゃないのですよ。

説得力のある理屈とかは、とうの昔に…、
…というか、初めから失われていて、
「政府が辺野古に作ると決めた以上、
なんとしても辺野古に基地を作るんだ」と、
思考停止したまま、突撃を繰り返すことで目的を達成しようとする
戦前の日本軍のような愚かな計画になっているのです。

それでも、自らの愚かさに気がつき、
事業を見直そうとするのならば、
まだ救いはあります。

しかし、現状は、多くの思考停止した人々によって、
誰の目にも事業失敗が明らかになるまで、
この基地建設は続いていくのでしょう。

あほらし…

アバター
2020/03/26 19:30
>うとうとさん

政府の沽券や威信に関わるとか思っているんでしょうかね。

人間は間違うのです。
だからこそ、異論には、耳を傾けるべきですし、
マズいなと思ったら、
考え直す勇気、引き返す勇気が必要です。
それこそが、間違う人間に残された最後の賢さではないかと思うのですが…。

アバター
2020/03/23 18:52
政府がいったん決めたことは、合理性がなくなっても何十年経ってもやめないのです。
それが年功序列、学歴社会で役人が生計をたてられる唯一の道だから。
政府は声が大きくて財力があってより多くの金銀財宝を運んでくれる人たちが喜ぶことをやるのですよ。



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