Nicotto Town


安寿の仮初めブログ


『フェイクスピア』を見てきました。



7月9日、雨の東京の池袋で、
作・演出 野田秀樹
出演   高橋一生、橋爪功、白石加代子ほか
『フェイクスピア』を見てきました。

シェイクスピアを、Fakeでもじって、フェイクスピア。
某大統領のおかげで、
フェイク・ニュースもフェイク・ニュースという言葉自体も、
しっかり市民権を得てしまいましたが、
そもそも演劇という行為自体が、Fake、虚構なわけでして、
シェイクスピア自身、そのことを十分に意識して戯曲を書いていたと思います。

しかも、稀代のペテン師、
嘘八百の言葉を並べたてて、
あたかも何かが進行しているかのように思わせる才にかけては、
当代随一の野田秀樹が、この題材をどのように取り扱うか、
それが楽しみで見に行きました。

以下、この芝居が隠し持っている題材について、あれこれと。


まず、演劇はどこまでも虚構であり、
役者はあくまでも演者であって、事の当事者ではないのですが、
しかし、演劇の方が事実よりも真実を如実に語ることがありますし、
役者の方が当事者よりも真に迫っていることがあります。

…というか、真なるもの、
私たちの心を打つ確かなものを表現できないのであれば、
演劇や役者の存在意義は、大きく後退してしまうでしょう。

それができなければ、演劇や役者は、
お座敷での宴会芸や太鼓持ちといった、
一時の賑やかしに過ぎなくなってしまいます。
(そういった芸や芸人はちまたに溢れていますけど)

その点から言えば、FakeとTruth、虚構と真実は、
相反する関係にあるものではなく、
確かなものを構築するために仕組まれた共犯関係、
あるいは、気を抜いたら、たちまち崩壊してしまうような
緊張関係の上に成立していると言って良いでしょう。

そして、その点から言えば、
フェイクニュースのフェイクたる所以、
ツィッターのツイッターたる所以は、
確かなものを発しようとする際に必要とされる構築力の弱さ、
素材や題材、表現や言葉に向き合う際に必要とされる緊張感の無さに
起因するのだと思います。

すぐにバレるような嘘をついている、
考え込まれてないつぶやきをダダ漏れさせている点にあるのだと思います。


次に、役者は、役の人物を、
あたかも自らに憑依させたかのように演じますが、
それは、神を憑依させる巫女、霊を呼び寄せるイタコと同じです。
ですから、役者は、役の人物だけでなく、神にも霊にもなれるのです。

ですが、ここで一つの疑念が生じます。

今、目の前で語っているのは、
神なのか霊なのか、それとも役者自身なのか。
それは神や霊の憑依なのか、それとも演技なのか。
巫女・イタコ・役者は、今まさに神の言葉を語り伝えているのか、
それとも神や霊を騙っているだけなのか。
騙っているのであれば、ペテンということになります。

ですが、この疑念を追求することは、あまり意味がありません。
なぜなら、人間にとって神とは、常に言葉、概念だからです。
新約聖書・ヨハネによる福音書は、それを的確に表現してますが、
「始めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」
むしろ、語る、書き記すという行為自体が、神そのものなのです。

ですから、神の存在を前提にした上で、
巫女・イタコ・役者は、その神の言葉を語り伝えているか、
それとも騙っているだけなのかを問題にするよりも、
語るという行為自体が、どれだけ神そのものを現出させたかを問うべきでしょう。

  (私にとって書くという行為は、
   予めまとまっている自分の考えを書き記すという行為ではなく、
   書きながら考える、
   書くことで自分の言いたいこと、自分の考えに辿りつく、
   そうすることで、自分の考えを現出させるという探求の行為なのです。
   この日記の書き方が、正にそうであったように。)

受け手の側が納得しうる言葉を感動しうる表現で語ったのであれば、
それは神そのものを語ったのでしょうし、
従って神となって語ったのでしょう。
稚拙な言葉を稚拙な表現で語ったのであれば、
それは神を騙ったことになるのです。

ですから、巫女・イタコ・役者にとって大切なのは、
語る内容と語る技量と言えます。
それこそが神であり、神となるワザなのです。


3番目に、このような題材を内包するこの舞台は、
当然の事ながら、その舞台で、
まごうこと無き真の言葉とはどのようなものかを、
現出させねばなりません。

それを野田秀樹はどのように描いたか。
それは実際に舞台を見て、確認して下さい。

7月9日の公演、その3回目のアンコールは、
スタンディング・オベイションになりました。
その光景に、白石加代子は涙をうかべていました。

緊急事態において演劇鑑賞は不要不急のように思われていますが、
そして実際、不要不急であるかのような演劇も多いのですが
これは見る必「要」のある演劇です。

東京公演は、7月11日(日)で終了ですから、
「急」がなければ、神の現出を見逃すことになります。
当日券販売は行っています。
大阪公演は、7月15日~25日、新歌舞伎座で上演です。




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