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文化財防火デー

ニコットおみくじ(2023-01-26の運勢)

おみくじ

こんにちは!強い寒気の影響で日本海側は雪の降る所が多く、北日本はふぶく。

太平洋側は晴れ間があるが、一部で雪雲が流れ込む。
沖縄は曇り。

【文化財防火デー】 cultural Property Fire Protection Day

☆日本の記念日の一つです。
 文化財を火災や震災その他の災害から守るとともに、
 日本国民の文化財愛護思想の高揚を図る目的で、
 1955年(昭和30年)に当時の文化財保護委員会と
 国家消防本部が制定しました。

 *文化財保護委員会・・・現:文化庁

 *国家消防本部  ・・・現:消防庁

<概要>

第68回文化財防火デーの開催につきまして

1月26日は文化財保護法制定の契機となりました法隆寺金堂壁画が
焼損しました日に当たります。

*焼損した日・・・昭和24年

昭和30年にこの日を「文化財防火デー」と定めまして、
貴重な文化財を火災や震災、その他の災害から守る為に、
文化庁と消防庁が協力をしまして、
毎年1月26日を中心に全国で文化財防火運動を展開しています。

〇文化財を守る虹色の放水・・・法隆寺で防火訓練

「文化財防火デー」の26日、奈良県斑鳩町の世界遺産・法隆寺で
地元や寺の消防団によります防火訓練が実施されました。
参加者の密集を避けます為、
コロナ禍で実施が見送られていましたポンプ車によります
一斉放水が3年ぶりに行われました。

寺では1949年1月26日、金堂(国宝)から出火しまして、
極彩色の仏教壁画が焼損しました。
これを教訓に国が1955年に防火デーを制定しました。
この日は、焼けました壁画を補完します収蔵庫等で法要が営まれました後、
消防団員ら約80人が境内にあります鏡池の水を
ホースでくみ上げまして放水をしました。
また、防火設備の点検もしました。

<指定文化財について>

《奥尻島(おくしりとう)》

新羅之記録(しんらのきろく)

北海道指定有形文化財 昭和45年2月12日指定

初期の松前家の実績を記録します古文書です。
寛永20年(1643年)に編纂されました松前家系図を
6代藩主の弟であります松前景廣さんがその不備を正しまして、
記述を補いまして作成されました。
北海道最古の歴史文書といわれています。
上下2巻の巻物で、「家譜一・二」と記されていまして、
巻頭と巻末には源氏の氏神様であります新羅神堂の
朱印が押されています。
「新羅之記録」とされます由縁です。

別名:「松前国記録」、「新羅記」

このような別名もあります。

青苗砂丘遺跡(あおなえさきゅういせき)

北海道指定史跡 平成20年3月18日指定

青苗砂丘に埋もれました6~7世紀頃のオホーツク文化の
遺跡の存在が判明されました。

この文化は、サハリンやオホーツク海沿岸で栄えました文化で、
舟で海上を移動したことによりまして、
遠い奥尻島まで到達したものと推測されています。

遺跡からは土器や石器の他に、人骨や熊の歯、
本州産(島根県)の管玉(すげだま)や鉄製刀子等、
特徴的なものが発見されまして、
列島の広範囲で交易が行われていたことを示しています。

砂丘の地下約2mの場所には遺跡が広がりまして、
近年では平成5年(1993年)の北海道南西沖地震津波を受けて
削られましたが、砂丘のお陰で後ろ側の住宅の被害が軽減する等、
自然の防波堤の役割も果たしています。
オホーツク文化の南下を示します重要な遺跡です。

青苗遺跡出土品(あおなえいせきしゅつどひん)

北海道指定有形文化財 考古 平成29年3月31日指定

昭和51、52年度に青苗遺跡から出土しました骨角器と土器119点が
北海道有形文化財に指定されました。

道指定は「新羅之記録」、「青苗砂丘遺跡」に次ぎまして島内3例目です。
考古遺物では初めてです。
同部門では、檜山管内でも2例目です。

遺跡は奥尻島南端、青苗地区の海を見下ろします段丘上に位置しています。
縄文時代と擦文時代の文物が出土します複合遺跡です。

海岸部へ続きます緩やかな斜面には、
兼ねてより擦文期の貝塚が存在していることが知られていまして、
昭和初期のとあります紀行文にもk「鮑の貝塚」として登場しています。

貝塚出土品のうち、約8割が鮑の殻でです。
他には二ホンアシカや魚類の骨、海胆(うに)の殻が見つかっていますが、
それらに混じりまして、獲物を捕獲する為に使用しました漁労具があります。
鯨(くじら)や鹿の骨で造られました精巧な骨角器が多数出土していまして、
研究者の注目を浴びています。

北海道の擦文時代は本州の平安時代に相当していまして、
貝塚の時期は付近から出土しました土器の特徴から、
11~12世紀頃のものと推定されています。
この頃は既に貝塚が遺されるような時代ではなく、
青苗の事例は極めて稀です。
そこから出てきました骨角器の多くは、銛頭(もりがしら)と呼ばれます
離頭銛(りとうもり)の先端部分で、
一部に鉄製の矢じりが残りますものや、鹿角製(とっかくせい)の基部に
装飾が施されたもの等がありまして、
島に出入りしていました擦文人の漁労生活の一端を解明します好資料です。

〈銛〉
 
 魚介類を突き又は刺して獲る漁具を指します。

 通常は樫(かし)等の硬い木の柄(え)の先に
 鉄製の突具(つきぐ)を付けたものです。

 突具の先端には抜けにくくします為の返しを着けてあります。
 柄と突具とが一体となっていますものと、
 離脱が容易になっているものがあります。

 前者は目的物の動きが緩慢、又は容易に近づくことが出来る場合に使用します。
 後者は目的物の動きが活発で、容易に近づくことが出来ない場合に使用します。

 命中しますと柄が突具から離れまして、
 突具に連結していますロープを漁夫が手繰り寄せまして漁獲をします。

 この類は銛を直接手で投げる場合と、
 鯨を対象としました火薬によります捕鯨砲等があります。

 銛を手投げします漁業としましては突ん坊漁業が代表的でありまして、
 これは鮪・カジキ類、鮫類等の大型魚を目的として探索しまして、
 発見しますと船を近づけまして銛を投げます。

 命中しますと魚は疾走しますのでロープを延ばしまして、
 披露して弱らせてから船内に取り込みます。

 昨今、ロープに電気を流して瞬時に弱らせる方法も行われています。

擦文人は、島の名産品となります海驢(あしか)の毛皮や干し鮑を用いまして、
手広く交易を行っていたものと推定されています。

問題 この中で縄文時代の遺跡を教えてください。

1、登呂(とろ)遺跡(静岡県)

2、吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県)

3、菜畑(なばたけ)遺跡(佐賀県)

ヒント・・・〇正解の遺跡

      現在日本最古の水稲耕作遺跡です。
  
      @場所

       唐津市の西南部にあります。
       JR唐津駅から西に約2kmの所にあります。

      @国の史跡に指定

       従来の縄文時代の水田跡が発見されています。
     
      本遺跡は1979年(昭和54年)に発見されました。
      1980年(昭和55年)12月から
      1981年(昭和56年)8月にかけまして
      発掘調査が実施されました。

さらにヒント・・・

〇虹の松原

唐津湾の海浜に続く虹ノ松原は国の特別名勝です。
三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられています。

お分かりの方は数字もしくはこの中で縄文時代の遺跡をよろしくお願いします。










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