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東京専門学校が開校した日


こんばんは!21日(土)は、北日本や北陸から山陰では雨の降る所が多く、

雷を伴う所もあるでしょう。
北海道では雪の混じる所もありそうです。
東日本から西日本の太平洋側や九州北部は概ね晴れる見込みです。
南西諸島は曇りや雨となるでしょう。

【運動会の思い出は?】

A、中学生の時に応援副団長をしたことです。

【東京専門学校が開校した日】 the day Tokyo College opened

☆10月21日は東京専門学校が開校した日です。

 1882年10月21日政治家の大隈重信(おおくましげのぶ)さんが
 中心となりまして、東京・牛込に東京専門学校を設立しました。

 《大隈重信》さん

  ・出身地  :肥前国佐賀藩(現:佐賀県佐賀市)

  ・生年月日 :1938年2月16日

  ・死亡年月日:1922年1月10日(享年83歳)

  ・初の政党内閣を組閣しまして、殖産興業の推進に努めました。
   早稲田大学を設立した人物としても有名です。

   〔殖産興業(しょくさんこうぎょう)〕

    明治政府が西洋諸国に対抗しまして・・・

    ・機械制工業

    ・鉄道網整備

    ・資本主義育成

    これらにより国家の近代化を推進した諸政策を指します。

    ≪狭義≫

     明治政府によります新産業の育成政策を指します。
  
     国策であるから民営化は黒田清隆(くろだきよたか)さん等に
     否定されました。

     『黒田清隆(くろだきよたか)』さん 政治家

      薩摩藩出身です。

      五稜郭の戦いで功をたてます。
      開拓長官となりまして北海道開拓に尽力します。

      1888年首相になります。

      翌年、条約改定交渉失敗で辞職します。
      
      のちに枢密院(すうみついん)議長を歴任します。

      *枢密院・・・国王・皇帝の諮問機関です。
             共和制国家には大統領の諮問・参与機関として
             国家評議会が設置される場合があります。

             「枢密」とは、
             機密や政治上の重要な秘密のことを指します。

    ≪広義≫

     明治政府以外の各政府による新産業の育成政策も含めます。

     *明治政府以外の各政府・・・江戸時代の各藩等

     殖産興業によります好景気で、
     「殖産興業景気」と呼ばれることがあります

     明治政府におきまして具体的な方策を説いたのは、
     農商務省大書記官であります前田正名(まえだまさな)さんが
     1884年に編纂しました興行意見によるものです。

     『前田正名』さん

      第7代山梨県知事です。

      在任期間 :1888年6月29日ー1889年2月27日

      生年月日 :1850年4月23日

      死亡年月日:1921年9月11日

      明治期の日本の官僚で男爵です。
      明治政府の殖産興業政策の政策立案と実践しました中心人物です。

  〔大隈重信さんの生涯〕

   ≪若い頃から反骨精神の持ち主≫

    大隈重信さんは1838年、
    佐賀藩の石火矢頭人(いしびやとうにん)を務める
    父・信保(のぶやす)さんの長男として生まれました。

    *石火矢頭人・・・砲術長のこと

    明治新政府で活躍した人達には下級武士出身層が多いイメージですが、
    大隈家は上級武士の家柄です。

    6歳になりました大隈重信さんは、
    藩校の弘道館(こうどうかん)に入学します。

    しかし・・・

    弘道館の教育方針に疑問を持ちました大隈重信さんは、
    乱闘騒ぎを起こしまして、退学処分になります。
 
    ですが・・・

    英才と知られました大隈重信さんは、その後も学問を続けます。

    退学から6年後・・・

    なんと弘道館の教授に就任します。

    1866年大隈重信さんは流れを読まない藩に嫌気がさしまして、
    学友でした副島種臣(そえじまたねおみ)さんと脱藩します。

    『副島種臣(そえじまたねおみ)』さん

     佐賀藩に生まれまして大隈重信さん、
     江藤新平(えとうしんぺい)さんと育ちます。

     ・「佐賀の七賢人」の一人

     ・明治新政府で重要な職を歴任

     ・幕末に尊王攘夷運動を行いました

     ・明治新政府で「参議」として活躍

     ・日清修好条規の交渉を担当

     ・外務卿・内務大臣等の要職を歴任し、
      「マリア・ルス号事件」で奴隷を開放する等、活躍

    『江藤新平(えとうしんぺい)』さん

     西郷隆盛さんや大久保利通さんとともに「維新の十傑」の一人に、
     又、鍋島直正さんや大隈重信さんとともに、
     「佐賀の七賢人」の一人に挙げられる人物です。

     佐賀の乱ののちに死刑となりました為、
     40歳という若さでこの世をさりました。

     ・1868年東京奠都(てんと)です。

      *東京奠都・・・江戸が東京と改められて、都と定められたこと

     ・身分や性別の区別なく、
      国民皆学を目指した学制の基礎を固めました。

     ・1872年司法省が設置され、司法卿となり、
      イギリス、フランスを主本とした三権分立を目指し、
      裁判所の建設や民放・国法の編纂を行いました。
      
      こうした功績から、
      江藤新平さんは「近代司法制度の父」と呼ばれています。

     □佐賀の乱

      佐賀征韓党の首領に擁立され、
      この征韓党と憂国党が共同して反乱を計画します。
      江藤新平さんが佐賀に入りまして五日後の夜、佐賀の乱が勃発。
      その後、征韓党は解散して逃亡しましたが、逮捕されました。

問題 1880年頃から全国で自由民権運動が活発化します。
   自由民権運動とは政府に対して、民主的改革を求めた政治運動です。
   政府は参議に対し、国家解説につき意見を求めました。
   慎重派が多数を占める中、大隈重信さんだけが憲法を早く公布して
   国会を開設することを主張します。
   それをよく思わなかった日本の初代首相らにより、
   大隈重信さんは失脚されてしまいます。

   日本の初代首相を教えてください。

1、伊藤博文(いとうひろぶみ)さん

2、黒田清輝(くろだせいき)さん

3、山縣有朋(やまがたありとも)さん

ヒント・・・〇日本の初代首相
     
      日本を近代国家へと導いた日本の初代首相の政治哲学は、
      三度の渡欧経験により育まれました。

       ①1863年23歳の日本の初代首相は親友の井上馨さんと共に
       イギリスへ密航し、西洋の学問や軍事を学ぶ目的でした。

       ②1871年~1873年にかけて岩倉遣外使節団の渡航で、
       アメリカやヨーロッパ諸国を廻り、列強の実情を知りました。

       ③1882年~1883年列強各国の近代憲法を自ら学ぶ為。
       
お分かりの方は数字もしくは日本の初代首相をよろしくお願いします。



     



  





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