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元日

ニコットおみくじ(2024-01-01の運勢)

おみくじ

こんにちは!九州から関東は晴れ。

北陸は曇りや雨。
東北と北海道は、太平洋側では陽射しがあるが、
日本海側は天気が崩れやすい。
沖縄は晴れ。

【元旦】 がんたん New Year's Day

          New Year's morning

☆元日は1月1日のことで、歳神様をお迎えする日です。
 元旦は1月1日の日の出からお昼までのことですので、
 1月1日の朝を指すのが正しい使い方です。

<概要>

〇1月1日の朝はなぜ?「元旦」という?

A、「旦」は陽が昇る時を表す文字ですので、
  「元旦」は「元日の朝」のことです。

@旦

 「旦」とは、2つ以上の字を組み合わせて新しい文字を作り、
 意味を合成する会意文字の一つです。

  ★会意文字

  既存の複数の感じを組み合わせて作られた文字のことです。
  意味を持つ漢字を組み合わせ、別の意味を持つ漢字になります。

 「日」と「一」(地平線)を合わせ、
 太陽が地上に現れることを示しています。

【元日】 がんじつ New Year's Day

☆1年の最初の日で、1月1日です。
 国民の祝日の一つで、年の初めを祝う日です。

<概要>

〇元日の意味

日本の祝日は・・・

「国民の祝日に関する法律(祝日法)」に、
祝日として祝う趣旨が定められています。

@祝日法による元日

 元日は「年のはじめを祝う。」ための祝日です。

@「元」という字

 「一番初め」という意味があり、
 三が日のことを「元三日(がんさんにち)」とも呼びます。
 
 つまり・・・

 一年の初めの3日のさらに最初の日が「元日」という意味になります。

〇元日の由来

元日は、宮中で行われていた年中行事の一つであります、
「元日節会(がんじつせちえ」を由来としています。

@元日節会

 いつから行われていたのかは明確ではありませんが、
 少なくとも奈良時代の初めには宮中行事として存在していたといわれています。

 応仁の乱で一時途絶えましたが、
 1490年から再開されまして、明治維新までの約1200年間も
 続けられていた行事です。

 [元日節会]

 正月元日の朝賀(ちょうが)ののちに行われた節会です。

 〔朝賀〕

  正月の元日に皇太子以下諸臣(しょしん)が朝廷に参上しまして、
  天皇と皇后に新年の慶びを奉上する儀式です。

  この儀式のことを「朝拝(みかどおがみ)」ともいいます。

  本来は中国の儀式で、
  日本では646年(大化2年)に大極殿で行われたのが初見です。

  即位式とともに大儀で、皇太子以下は礼服を着用しまして、
  唐風に行われました。

  大極殿前庭の式場には竜尾壇と称する階段に、
  鳥形幢(とりがたのはた)を立てます。

  ・東:日像、朱雀、青竜幡

  ・西:月像、白虎、玄武幡

  これらを立てまして、香炉等が設けられます。

  大極殿には天皇の高御座(たかみくら)と皇后の御座が設けられまして、
  皇太子が高御座の前に到りまして、賀のことばを奉上します。

  天皇の詔(みことのり)がありまして、
  諸臣が拝舞しまして、武官が旗を振りまして万歳を唱えます。

  701年(大宝元年)には儀式として整いましたものがみられまして、
  9世紀初めの嵯峨天皇で藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)さんが
  撰しました「内裏式(だいりしき)」に、詳細な儀式次第が書かれています。

  元日が風雪、その他の理由で2日、3日、5日に行われたこともあり、
  諒闇、日食等によりまして、廃することもありました。

  皇后や皇太后、太皇太后や皇太子にも朝賀が正月2日に行われました。
  
  又、地方におきましても元日に国庁で国司が属僚郡司を率いて朝拝しまして、
  長官が賀を受けました。

  朝賀は一条天皇の正暦年間(990年ー995年)以後廃絶しまして、   
  これに代わりまして、朝賀の後に清涼殿で行う略式の
  小朝拝(こちようはい)が専(もっぱ)ら行われるようになりました。

  小朝拝は9世紀中頃の文徳、清和天皇の頃から始まりまして、
  後に朝賀の無い年に行われるようになりまして、
  醍醐天皇の905年(延喜5年)に一時停止しましたが、
  919年に復活します。

  そして、摂関期には小朝拝常の如し(御堂関白記)となりました。

 史料上では天武朝末年が初見です。

 行われた場は奈良時代には一定しませんでしたが、
 平安時代に嵯峨朝に豊楽(ぶらく)殿が一時使用されました他は、
 紫宸(ししん)殿で行われました。

 儀式次第は天皇の出御の後、諸司奏として中務省陰陽寮から
 御暦奏、宮内省主水司から氷様(ひのためし)奏、
 内膳司から腹赤(はらか)奏がありまして、
 その後、群臣が参入しまして賜宴、奏楽、賜禄等が行われました。

つまり、元日には皇太子はじめ文武百官からの新年の拝賀を、
天皇がお受けになられる朝賀が行われます。

諸国の豊作や吉兆、氷室から取り出しました氷の厚さを、
天皇の奏上するといいました儀式が行われていました。

*氷の厚さ・・・厚い程良い
  
〇元日の祝い方

元日は・・・

全てのものに命を与える「歳神様」がいらっしゃるのを祝う、
「神迎え」という大切な行事です。

@門松を飾る

 神様は木の梢に宿ると考えられていました為、
 歳神様をお迎えする依り代(よりしろ)として玄関に飾りました。

 門松を飾る家は年々減っていますが、
 かつては歳神様をお迎えする為に欠かせないものでした。

@鏡餅を飾る

 歳神様にお供えします為に飾りますのが鏡餅です。
 昔は丸型の青銅鏡の形をしていることから鏡餅と呼ばれました。

@注連縄(しめなわ)飾りを張る

 注連縄は災いを齎(もたら)す禍神(まがかみ)が、
 家に入らないようにする為のまじないです。

 この注連縄を床の間、門松や神棚に飾りました。

歳神様のお迎えをおそろかにしますと不幸になると信じられていました為、
いずれも欠かせない大切な行事です。

問題 鏡餅の形の起源であります青銅製の鏡。

   日本に青銅製の鏡が入ってきた時代を教えてください。

1、縄文時代

2、弥生時代

3、「古墳時代」又は「大和時代」

〇青銅製の鏡

銅や錫(すず)やヒ素或いは鉛等も加えました合金を、
高温で溶かしたものを、鋳型(いがた)に流し込んで作ります。

中国では紀元前3000年頃に造り始めたと考えられていますが、
日本で初めてもたらされたのは正解の時代の前期末から中期初頭の頃です。

正解の時代後期になりますと、
中国の鏡をモデルとして日本国内で模した製品が造られるようになります。
このようなものを仿製鏡(ぼうせいきょう)と呼んでいます。

ヒント・・・〇正解の時代

      この時代を特徴づける出土品の一つに銅鏡があります。
  
      正解の時代は、縄文時代の採集経済から水稲農耕を主としました
      生産経済の時代へと移行しました。

      この時代には銅鏡の他にも・・・

      ・正解の時代土器

      ・銅鐸(どうたく)

      ・銅剣

      これら等が出土しています。

      これらの出土品は、  
      正解の時代の生活や文化を理解する上で重要な手掛かりです。

      特に・・・
   
      銅鏡は祭祀具として用いられまして、
      有力者や司祭者等に限られていました。

お分かりの方は数字もしくは日本に青銅製の鏡が入ってきた時代を
よろしくお願いします。














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