Nicotto Town


モリバランノスケ


言葉を待つ

降り続いた雨も上がった、薄く雲がかかっていて快晴ではない。けれども、我が庭や森には、柔らかい陽光が照らし続けている。非常に気持ちの良い朝である。私は、感性を研ぎ澄まし、降りてくる言葉を待って、それを文字にする。

ここ南房総の森の中は、社会の喧騒を離れて、世間の常識、過去のしがらみに囚われる事無く真の自分を見つけ出すには、誠に相応しい所。
ところで、真の自分とは?。それは<言葉>。
それは、又、私が、ここ(サイト)に、毎日、日記を書き続けている理由でもある。肉体は、湧いてくる(落ちてくる)言葉の通り道に過ぎない。

今、私は、我が庭の南東、公道との境に設置された側溝の清掃をしている。側溝は、長さが約50Mある。高齢(⁇)のため、スコップで泥を5回さらっては、側に置いたチェアー腰を下ろし、休憩するというリズムだ。

そこに座り、空を見上げる。覆い被さるように、枝を広げた、楠木他の植物達の樹間から、青空が、垣間見える。微かに、風が抜ける。目を閉じる。そこには、深い静けさが在る。私は
しばし微睡む。そして、待つのだ。言葉が、私の元に、やって来るのを・・・・・・・・。

例えば、私の生命が、あと僅か(今日限り)と成った時、私は何を求めるだろう。一億円上げる、と云われても、それは求めない。私が、必死になった求めるのは、言葉。それは、孔子が、(朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり)と述べた、道のことでもある。澄んだ心境で、降りてくる(言葉)を文字にする。それは私の生きる道である。




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