Nicotto Town


モリバランノスケ


古道その3

今日は、朝からどんよりとした曇り空である。
早朝に、雨も少しパラついたようだ。庭や森の草木樹木達の葉が、輝いて見える。彼等にとっては、恵みの雨だ。昨夜の天気予報によると、夜半には、本格的な雨降りに成りそうである。

みんな揃っての、愉しいBreakfastを、楽しんた後
、私は、何時もの様にチャムを伴い、早朝散歩に繰り出した。行き先は、このところ気に入っている、我が庭の南西側を行き交う古道の陽だまりである。そこには、クスノキの枯木が二本息づいている。私は、向かって左を、古道楠木兄、向かって右を、古道楠木弟と呼んでいる。

私は、持参したロッキングチェアーを拡げて、静かにゆっくりと腰を下ろした。そして、兄弟に、朝の挨拶をする。

私 (おはよう御座います)
兄 (おはよう) 弟 (オハヨウ)

微かに、頬を掠めて、風が抜ける。日は照っていないが、古道楠木兄弟のみずみずしい若葉の色彩が、目に優しい。静かである。私は、目を閉じて、瞑想を始める。そして、何時しか、微睡み始める。その中で、兄弟から聞いた、古道を行き交った人々の姿に、没入していったのである。それは、戦国時代末期の話であった。

○今の行政区分で言えば、市原市牛久の辺り。
道路で言えば、市原インターに向かう国道沿いに、佐是城址入口と言うバスがある。

平安から戦国時代にかけて、そこには佐是城と言う城が築かれていた。戦乱の世、何度か城主は代わったが、戦国時代末期に破れた者の脱出劇がある。

その際に、一族が、人目を忍び落ち延びたのがこの古道である。彼等は、海岸に出て、海路を使い、常陸の国に上陸した。そこから、陸路を経て、縁ある芦名氏を頼り、会津に至った。その頃、陸奥は伊達氏と芦名氏が勢いを競った。

芦名氏に仕えた一族は、四天王の一角を担い、会津坂下に城を築き、活躍したのだ。○

私は、古道楠木兄弟から話を聴きながら、この道を通った、一族の姿に、思いを馳せたのである。




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